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人生で一番若い日。

汗かき歩いて出勤したらちょうど、売り場に馴染みのマダムがいらっした。

あなたのおすすめは美味しいと言ってくださる有り難いお客様である。

数ヶ月ぶりだったので、テンションが上がり、

私服のTシャツで鞄を背負ったまま、歓談しつつ接客。

帰り際、「久しぶりにあなたの顔がみれてほっとした」と言われる。

こちらこそです、マダム。


そのすぐあと、また他の顔見知りマダムがご来店。

これまた久しぶりで、しばしの歓談。


顔を合わせるとこちらも安心できる。

ただの店員、以上の親近感をもってくれてると感じる。

こういうお客さんを、自分は増やしていかねばな。


そんなことを考えつつレジに立っていると、

一人のムッシュがやってきた。

眼鏡を外したカーネル・サンダースを、

柔らかく、のっぺりさせたような、

白髪のムッシュ。


レジで商品を打ち始めたときに一言、

「あなた、いくつになったの?」

まるで前から知っているかのように、

数年ぶりにあった親戚のように温かい声で尋ねられたが、

以前に話した記憶はない。

訝りながらもなるべく落ち着いた声で

「今年で27歳になりました」

それを受けたムッシュが一言、

「今日が人生で一番若い日だから」

ハッとした。

ムッシュは繰り返す。

「今日があなたの人生で一番若い日」

「んん、確かに。すごい、名言ですね」

「いい出会いも限られてくる」

「はい」

「グッと目を閉じて、パッと開いたときに、目の前にいる人、上だけ見ててはだめ」

ムッシュは、レジを打つ僕の前で、財布からお金を取り出しながら、

表情豊かにグッと目を閉じて、パッと目を見開き、手本を見せてくれた。

そしてまた繰り返す。

少し込み始めたレジを気にするそぶりなど見せず、まっすぐ僕の方を向いて。

僕は釣り銭のミスがないように注意しながらも、

ムッシュの言葉を脳に焼き付けようと、耳を傾ける。

「グッと目を閉じて、目の前にいる人、価値観の合う人」

「はい、肝に銘じておきます」

あまりにも唐突に、今の自分の心に優しく響く言葉をいただいた。

まるで神のお告げのようだった。

ありがとう、ムッシュ。


今日がこれからの人生で一番若い日だ。

あの頃は若かった、

年をとったなんて、

言うのはやめだ。

今日が一番若いなら、

昨日は振り返るものではなく、

前を向いたまま振り払うもの。

明日へ向かうのみだろう。



はて、それにしても、

言葉のありがたみを感じつつも、

ハナから独身と決めつけられて、

熱心に諭された自分が、

なんだか哀しくなってきた。



グッと目を閉じ、

パッと開いて、目の前を見る



ムッシュ、

今日、目の前に立っていたのは、

二人のマダムでした。

どうも、目を閉じるのが短かったようですね?

またの名言、心よりお待ちしております、ムッシュ。
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by yuzuruzuy | 2013-09-10 02:22 | 日記

この道を行けば、どうなるものか?

年末の忙しさから解放されたせいもあってか、
最近はときどき考え込むことが増え、腹の底がすっきりしない。
今年、来年と近い将来だけを見れば、やるべきことははっきりしていて、
実際モチベーションは高いのだけどな。
まぁそこらへんはまた溜まってきたところで愚痴るとして…。

この前親しい友が家に来てじっくり話したときに、
彼はルーズリーフ6枚分に書き出した死ぬまでの人生プランを見せてくれた。
深く悩んでいて、急に思い立ち一晩中かけて書いたらしい。
内容は書かないけど、とてもワクワクするような人生。
僕も未来図を描いて、それぞれ好きな道を行き、それがどこかで重なり合ったらおもろいな、
そんなことを語った。

その友がどこかで出会って感動した詩を教えてくれた。
調べてみたら江戸時代の僧、良寛の詩らしい。
はじめはテンポが良いなぁと思うくらいだったけど、
あとからじわじわと沁みてきたので、
全文拝借。

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連の人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏


ともすれば軽い決め付けとも受け取れる“丁度よい”という言葉。
でもすべてひっくるめて“丁度よい”と自己肯定することは、そんな簡単なことじゃないんだよと、
誰しも抱える自己否定の念を分かったうえでの“丁度よい”なのかなぁ…深いねぇ。
自分はまだまだ丁度よいと思えることが少ない。
あるとしたらnewbalanceのスニーカーと、Columbiaのデイパックくらいのものだろう。
でもものすごく安心感がもらえる、いい言葉だなぁ。

毎度お馴染み五里霧中日記になってきたところで、
今度は自分が最近ぐっときた言葉をのせて終わりにします。
もう少し悩もう。

自分自身の道を歩いて迷っている子どもや青年の方が、他人の道を正しく歩いている人々より、私には好ましい。前者は自分の力か、あるいは他人の指導によって、自分の性質にかなった正しい道を見出すと、決してその道を離れることがない。これに反し、後者は他から加えられたくびきを振り落として、無制限な自由に身をまかせる危険にたえずさらされている。
(「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」第八巻第三章から)

『ゲーテ格言集』(新潮文庫)p.46


“丁度よい”も、他の誰のものでもない、自分自身の“丁度よい”じゃないとね。
タイトルに引用しといて猪木にゃ悪いが、
迷いながら、行けるとこまで行くとしよう。
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by yuzuruzuy | 2012-01-28 01:31 | 日記

堂々巡り

前向きにだとかポジティブにだとか

そういうことを押し付けがましく言われることに嫌になって

ふさぎこんでしまっていた時代がありました

そんな時代があったからこそ

苦しみや悩みに向き合いながら

自分は自分で生きていくしかないのだと

人が前向きだとか後ろ向きだとか言うのにかまわずに

進んでいくしかないのだと

そう思える今があるのです

だから、前向きとかポジティブとか、

ここにも時々書くけれど

それは自信なんて代物からくる言葉じゃない

小学校の卒業文集のタイトルに書いた言葉

自信

そんなものはもう捨ててしまわないと

やるしかない

覚悟?

それもなんだか安っぽいな

手垢にまみれた言葉じゃなくて

自分らしさ?

これもありきたり

もっと

もっと

なんだろうなぁ

煮え切らない

なんだ

なんだ

それを見つけるのだ


それを見つけるまでは

いろんな言葉を使ってみて

合わないものは捨て去って

捨てて

捨てて

減らして

減らして

最後の瞬間に残ったものが

きっとそれなんだろう


そんな最後のひと言のために今は

大した意味を込められないままに

こんなにたくさんの

文字を並べ立てているのかもしれない

矛盾?

それもいいかもしれない
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by yuzuruzuy | 2011-10-05 01:19 | 独り言

しみる言葉たち

とある本を読んでいて、使いたくなるような言い回しが連発中。
なので感想とは別に書き残しておく。

≪通奏低音≫
(音楽用語)2声部以上の音楽において、途切れることなく奏される低音声部。
──音楽用語を文学で用いた知的な表現。
疑問や不満が“執拗な通奏低音となって心の底に響いていた”
アジカンの『架空生物のブルース』の歌詞でも印象的に使われていた。心地よい響きの語句。

≪豪放磊落(ごうほうらいらく)≫
気持ちが大きく、小さいことにこだわらないようす。
──いい加減とか、大雑把とかいう言葉では表せない人のスケールの大きさを評せる。
自分の性格からは程遠い、ちょっと憧れる四文字熟語。
こんな言葉を使って人を評することができる当人は、豪放磊落ではなかったりする。

≪エロキューション≫
話術。台詞回し。発声法。
──専門用語っぽいけど、カタカナにすることでちょっとおしゃれ。
畏まった文章の中で急に使われたら“エロ”って二文字がかなり効く。

≪訥々(とつとつ)≫
つかえつかえ話すさま。口ごもりながら話すさま。
──口下手な人も、前出の語句と合わせれば“独特なエロキューションで、訥々と語る”なんていう風にとてもあいくるしく描ける。

≪目茶≫
めちゃの当て字。すじみちの立たないこと。わけのわからないこと。度をはずれて法外なこと。
──滅茶と書くよりも、柔らかくユーモラス。ひっくり返したらお“茶目”なところもいい。

≪滋味≫
うまい味わい。滋養のある食物。物事の豊かな深い味わい。
──日本語にはこのような豊かさを表現する語句がたくさんある。
この二文字自体が“滋味あふれる語句”。読んでいて涎が出てくるような。
話し言葉では“地味”と混同してしまいそうな、書き言葉ならではの味わい深い語句。

≪諄々(じゅんじゅん)≫
ていねいに繰り返し教えいましめるさま。まめやかにいそしむさま。
──面倒に思うような説教も、このように書くなら味わい深い時間に。
まぁ本当に面倒な説教なら、間違った用法だろうけれど。

≪干天の慈雨≫
(慣用句)困惑しきっているときに救いが現われたり、待ち望んでいたときに期待したものが得られたりすることのたとえ。類語=地獄で仏
──“晴天の霹靂”はよく聞くけど、こちらも天気に関する慣用句。慈雨って言い回しが良い。
諄々と優しく説いてくださる○○さんの言葉はまさに干天の慈雨のように僕の心に深くしみこんだ”

≪含羞(がんしゅう)≫
はにかみ。はじらい。
──“はにかみ”なんてのは若い人に使えばストレートでかわいらしいけれど、それだと少し軽すぎるような、年上の人に使うならこっち。とっつきにくい先輩の意外な一面や、人間味を書くときに効きそう。
恐い人だと勝手に思い込んでいたが、実際に会ってみれば、“少年のような純粋さと含羞を感じさせる。”

≪伝法(でんぼう)≫
いなせな態度。特に女が勇み肌をまねること。
──強気で乱暴に見える女性でも、実は真面目でひかえめだったり…そんなギャップを書かれたら魅力倍増。


このように、含蓄ある多様な表現で出会った人々を実に魅力的に描いていてとても面白い。
一見ネガティブに受け取れる一面も、言葉の魔法で心地よく伝わってくる。
現代語はどんどん簡略化されて、分りやすくて刺激的な言葉が好まれがち。
少々難しくても、こういう言葉たちはいつでも使える場所に大事にしまっておきたい。
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by yuzuruzuy | 2011-05-24 01:53 | 表現

THE SONGWRITERS 佐野元春×桜井和寿

感じたこと、考えたことを、忘れないために(長いです)
何度も客観的に読み直し、書き変えつつ、
できるだけ読みやすくしたつもり。


まさに≪永久保存版≫

こんな講演があるなんて、立教大学がうらやましすぎる。
そしてNHK教育、ナイスです。

佐野元春が著名なソングライターを招いての講演
相手はなんとMr.Children 桜井和寿でした。
これほど録画してよかったと思える番組はなかなかないと思います。
響いたコトバを切り取りながら、自分の感じたことも交えて書き残します。


【感想・考察】

桜井:いつも心がけてるのは、その…世の中に溢れてる常套句とか、あの…テーゼとか既成概念の……裏にある、それもまたひとつの、真実だって言うことを自分がコトバで発見できたときが…

佐野:ぁぁー…あぁ…(うなずきながら)

桜井:あの…すごいうれしいとき、で…。まぁその瞬間をいつも待ってる…はい。

佐野:なるほど。詩人として、自分の、他の人が言ってる真実じゃなく、自分にとっての真実を発見できたとき…

桜井:そうですね、はい。

佐野:うれしいってコトだよね。よくわかります。


このやりとり…シビれた。

“愛はきっと奪うでも、与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの” 『名もなき詩』

「愛は与えるもの」「奪うことはいけない」
よく言うけど果たしてホントウにそうなの?
実はどっちでもないんじゃないか

そんな疑問から生まれた名言だった。



無意識レベルで作られた歌詞のひとつひとつのコトバ、それらを選んだ意図や
日々の生活、創作活動で考えている事柄を
ミスチル桜井がじっくりとコトバを選びながら語り
佐野元春が的確に受け止めて、わかりやすく短いコトバで
桜井のコトバもうまく借りながら説明してくれる。
“あぁぁ…” “確かにそうかもしれない” “ありがとう” “なるほどね”
独特のトーンで発せられる相づちが絶妙。

桜井氏が生む楽曲は、まず曲があって、それをコトバにならない感情を乗せた「ラララ」だったり適当な英語にして叫んで、そこにこもった怒りややさしさから、詩がイメージされるらしい。
なるほど。音楽の強さはそこなんじゃろうな。コトバだけでは伝わりにくい感情の部分。
そこから生み出すことで聴く人のココロにダイレクトに伝わってくる。
佐野元春は過去に、僕がいま通ってる講座を受けてたらしい。
コトバの限界を知っているからこそ、音の可能性を求めつづける世界を選んで
そのうえでコトバをどう生かすか?ということを追求しているのかもしれない。
佐野元春の音楽はほとんど聴いたことないのでよくわからんけど…(ゴメン)。


桜井:できるだけ、自分の無意識が作り出したものを、大事にしたい

歌詞を作ろう、作ろうと考えてるアタマじゃなくって、考えてないときに突然ふっと現れて来るような自分のココロの奥に潜んでいる部分を表現しようとしているから、そのコトバは、誰のココロにも染み込んでいける。
僕が好きな歌たちの、ココロに響いた歌詞が生まれたエピソード。
それらが実はトイレで生まれてたりする(笑)

Q:好きな言葉は?
「今日という日は、残された人生の最初の一日」

Q:嫌いな言葉は?
「難しい問題だよね」

前者は調べたところ、英語の格言みたいだけど
どちらもまるで自分のコトバかのような選びかたで身近に感じられて
“HOME”や“SUPERMARKET FANTASY”などの日常を題材にした
最近の、より身近な存在としてのミスチルの作品とリンクしてるように思えた。
僕も、好きな言葉を問われたら、こんな風になるべく自分のコトバのように答えたいと思った。

Q:女性からいわれて嬉しいコトバは?
「かわいい」(笑)
そう言ったあと「すいません」と謝りながら見せた笑顔は、
確かにかわいい(笑)



なんと歌詞のネタ帳も公開。これは鳥肌モノ。
その無地のノートの中は、衝動的な感情の殴り書き。
桜井:ものすごくその、コトバを考えるときに…、えーとぉ…、モヤモヤっていうものをすごく大事にしている…んです。だから、…そのモヤモヤが、う゛ぅーっていう感情であれば、強く書くし、おっきく書くし、みたいな。
コンピューターで打つ前は…、できるだけ、こうやって、字で書きたいとは思っていて…あの、間違っててもアイディアを残しておける。あの…パソコンとかだと、訂正したやつは、消えてなくなっちゃうんだけど、あの…残しておいたものが、のちのちすごく大事な役割をすることがあったりするので…。ん、あとはやっぱりその…自分のこの感情の、…モヤモヤだったりグァー!っていうものを、文字ごと、気分ごと、メモしておけるのが、はい、…ですね。


うん、手書きの良さはそこにある。
そのときの気分が、文字になってあらわれるし。
字には書いた人の人柄が出るってのもよくいわれるよなぁ。

こうしてブログを書いてても、一瞬ココロに現れた、実は正直な気持ちを
やっぱ違うと思ったら一瞬で簡単に消せるし、
逆に、PCのトラブルで一瞬にして消えてしまうこともある。
こんな長文を書いてるときなどまさに、いつ自分の手元が狂ってバックスペースを押してしまって
前のページに戻って全文消えてしまうかもしれない。そんな余計な恐れも生まれる。
だから何回かに分けて先に保存しておきます。

感情があまりにもフラットになりすぎるのは、ケータイでメールしていても身にしみる。
もっと紙に書こう。

僕は自分の直感や、感情を書くのは、無地ノートだと決めてる。
だから桜井氏のノートが無地だったのには、ピンポイントで感動した。
まぁ、だからって桜井センセイのようなコトバが書けるわけがないけれど。
字の大きさや、書く向き、余白の広さとかに“書いたときの自分”が出るという意味では
共感できる部分があるのかもしれない。だからちょっと嬉しかったのです。


桜井:歌詞を書くときでも、無意識に誰かがやる動作みたいなものに、すごく意味を持たせて、表現することが多いですね。

人と話してるときの、ふと視線を外したり、首をストレッチしたりする動作
無意識でやってる本人は気づいてなくても、きっと退屈してるんだろうな。
そんなしぐさの裏の感情を敏感に読みとる。確かに“何気ないしぐさ”みたいなニュアンスの表現が歌詞によく出てくるような気がする。
ここでも無意識がキーワード…他人の微妙な感情の動きまでもつかんで歌詞にする。
それで第三者である聴き手に「それ私が思ってたこと」なんだって、ドストライクで共感を呼べるとは…
すごい人間観察眼じゃ。


桜井:僕は人間が、ある一面だけであるはずがないと思っているし、愛してるからこそ、やさしくもできるだろうけど、愛し…が、あるからこそ、人を殺すこともできると思うんですよ。

人間のココロは、ある一面だけを、取っては語れないと思ってるし、その両方あるから、奥深いとも思うし、えーとぉ、『タガタメ』っていう、歌詞でも“子どもらを 被害者にも加害者にもせずに”っていう発想は、あのー、………もちろん、まぁ自分にも子どもがいるからその子どもが被害者にもなってほしくないけれど、でも、逆にその…、こいつは誰かを殺す可能性もあるかもしれない、っていうことを、それは人間だからどんな可能性もありえるって僕は思っていて(何度もうなずきながら)、…そのなんか……奥深さが、あの、すごく愛しいとおもう。“愛しいとおもう自分”でありたいなと思うんです。


何度もうなずきながらまるで自分自身に言い聞かすように語った。
高校時代はそんなこと考えずに聴いてたけど、今の僕ならわかる。
そんな見方を教えてくれたのが『掌』の歌詞だと思う。
今回は出てこなかったけど
この曲の歌詞に込められた思いについても聞いてみたいなぁ
ひとつにならなくていいよ 価値観も理念も宗教もさ
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができるから それで素晴らしい

いろんな人がいるように、いろんな自分だって認めりゃいいんだ
ひとつの価値観に縛られてきた自分がいるかもしれない
“こうであるべき自分”に、縛られないで、そのときの自分も本当の自分なんだと認められるようになるきっかけを与えてくれた曲。本当に本当の自分に気づいた、(正確には気づこうとし始めた)ときから、周りに対する見方も変わった。

こんな風に書くと、大げさに見えるな…(苦笑)
ミスチルで人生変わりました!みたいな、そんなわけではないのだ。
この歌詞はあくまできっかけで、考えて答えを出したのは自分自身だと言っておきたい。
もともと自分のココロの中にあった部分へと、このコトバがナビしてくれたような。
それでも、きっかけとなれるコトバだという時点で、充分以上に、すごいことなんだけどね。


<ミュージシャンとしての影響力と無関係でありたいと思う>
桜井:たぶん僕は…、その、人を思いやる…ために、第三者のために、音楽を作っているのでは…ないと思ってるんです。ただ、当然、人が誰しも抱えている、えー……問題、それを、えー……共有することで、なんか救われたり、励まされたりすることはあるだろうなと思って、だから…誰かを励ますんじゃなくて自分自身を解放してやる。それが、結果、えー、…だれかとつながり、んー、…何かプラスに作用するんじゃないかっていう、んー感じで…います。


このコトバを最後に聞けてよかったな。
まぁ、影響を与えたいなんて思ってたら独裁者かカルトの教祖にもなってしまいそうだけど。
「自分のため」と言い切るんじゃなく、遠まわしな言い方が上手い、というより、やさしい。
この、「共有する」というスタンスが、ミスチルを聴く現代人にニュアンスで伝わるから、多くの人を掴んで離さないんじゃないかな。
“ミスチルは私のために歌ってくれるんだ”なんて大きな勘違い。
高校時代のサッカー部の先輩に言わせれば、「お前カンチか?!」。
でも、そう感じさせる、人を“カンチ”にしてしまうチカラが、伝えるためには必要なのかもしれない。



【まとめ】

読みにくいとは思ったけど、桜井氏が思考をコトバにするまでの葛藤がわかるように
話の内容と間の取り方を自分なりに文字にした。
こうして文字を打ち込む作業のなかで、文字だけのチカラのなさを痛感した。
コトバにはやっぱり音が必要なのだと
音こそホンモノにいちばん近い感情を伝えられるのだと
この講演の映像、そしてこの感想を書く過程で思い知らされた。
逆に考えると、文字だけでその人のココロに突き刺さって
読む人のココロの声に乗って響くコトバを生み出すことを目指さなければ。
くやしいけど自分はまだまだなので、最低でも自分が分かりやすいように書いた。
自分が消化するのが精一杯で、読んでもらえる文章を書く余裕がまだない。
ほんとは、自分だけじゃなくて、読む人と共有できるコトバで書きたい。
ここまで長かったら、自分でも読み返す気をなくしてしまいそう。
ちょっと自虐的すぎるな。反省終了!

とにかく、あぁ、この人はコトバを大事にしているのだなということが
身にしみて伝わってくる映像だったということが言いたかったのです。
ここまでひとつひとつの言葉を、巻き戻しながら見た番組はおそらく初めてだ。
あとは、M-1のブラマヨのネタくらいかな(笑)



感想のつもりが、実に長々と書いてしまったなぁ。
見直してコトバを噛み締めて、結果的に5時間くらいかかった(笑)
新書2冊読めたかも。でもそのくらいの価値はありました。
それだけ残しておきたいコトバに溢れる講演でした。
こんなにミスチルが好きだったのか?と自分でも驚いています。

僕がミスチルを聴くときは、自分自身について考えるとき。
ミスチルだけじゃなくて、好きな音楽は全部そうなのかもしれない。
今の自分と、ココロの奥の自分をつなぐ、橋渡しとなってくれるコトバが
どこかにあって、それは、毎回違う曲。
そんな歌詞を持った新しい曲に、もっともっと出会いたい。


それにしても、佐野元春の話の引き出し方とか、雰囲気作りもすごかったな。
今週はアジカンの人らしいから、またチェックしてみよう。
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by yuzuruzuy | 2010-07-13 10:14 | 表現

倜儻不羈 (てきとうふき)

倜儻不羈

てきとうふき

* てき → にんべん + 周

信念と独立心に富み、才気があって常軌では律しがたいこと


確固たる信念を持って自分の責任のもとに独立し
常識や権力に拘束されることのない自由な人間
自分の理想とする人間に近いと思う


同志社創設者新島襄の言葉
国禁を犯してアメリカへ密航して留学生となった新島襄
黒船に乗り込もうとした吉田松陰然り、
脱藩して日本中を駆け回った坂本龍馬然り、
幕末から明治の激動の中で自由な考え方を持ち
実行に移した稀有な男だったんだろうな

僕の名前「譲」にも海外に行ったとき
Joeという読みができるようにという点で
新島襄が由来の一部となっているらしい
某ぺディアによれば「襄」だけでなく「譲」と表記していた事実もあるようだ
海外でJoeと呼ばれて、日本で襄と名乗り始めた≪逆輸入型Joe≫の新島襄に対し
日本で譲と名づけられ、海外でJoeと名乗れる僕は≪輸出型Joe≫である。
しかし、Yuzuruというユニークな名前を持ちながらわざわざJoeと名乗るのは
外国に迎合するようなものだし、英語で何故私がJoeなのかの理由を自ら説明するのも
相当面倒でまた少々恥ずかしくもあることに、海外に行って初めて気づいた。
むしろ日本人からジョーって呼ばれる始末である。

まぁこの由来はひとまず心にしまっておこう。


司馬遼太郎『この国のかたち』(一)17. 土佐の場合

この本の中に「倜儻不羈」についての記述があり
それによると、『ある種の独創家、独志の人、あるいは独立性のつよい奇骨といった人格』をさし
江戸期の知識人のあいだではごくふつうのことばであったらしい。

この本は司馬作品の源になったと思われる、
歴史上の人物や日本のあらゆる面についての司馬遼太郎の解釈が書かれていて興味深い。
また時間をかけてじっくり読みたいと思う。 

≪部分的意味≫ 同書より抜粋

倜(てき) … すぐれていて、拘束されないこと
儻(とう) … 志が大きくてぬきんでていること。
羈(き)  … 馬を制する手綱。
不羈(ふき) … 拘束されないこと。
 


難解だけど、これから心に留めておきたい言葉だ。
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by yuzuruzuy | 2010-03-01 19:45 | 独り言


つまらない、面倒くさいを、面白く。


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