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『箱男』 安部公房

 昨年読んで、まるで理解不能だったので再読。方舟さくら丸からハコつながりで箱男。通じるものがあれば理解が深まるんじゃないかと期待。
 結論、結局完全に分かることはなかった。途中まで箱男と贋の箱男の関係や、語り手すなわち箱男の“ノート”の記述者もはっきりしていたけど、突然、“ノート”が一人歩きを始め、記述者に話しかけるところから、何が何やら分からなくなる。『ソフィーの世界』で、主人公が作者の意図を離れてしまうように、読んでいるほうも異次元に連れ込まれる感覚。
誰が本当の箱男であったかをたずねるよりも、むしろ誰が箱男でなかったかを突き止めるほうが、ずっと手っ取り早い真相への接近法だと思うのだ。p187

考えてみてほしいのだ。いったい誰が、箱男ではなかったのか。誰が、箱男になりそこなったのか。p192
 言いたいことは分かるような気はするのだが…。覗く者と覗かれる者の関係が行ったりきたり。人は覗かれるのより覗く方を好むに決まっている。方舟さくら丸の船長もぐらも、箱男も、社会から隔離された空間に囚われたという点で共通するものがあり、
どちらにも侵入者や、贋の箱男という異物が入り込むことで存在が揺れ動いていく。そしてひとりの女をめぐって外界との接点を持たせようとする構図も似ている。
 後半にはさまれる夢の中のようなエピソード。ここだけの登場人物少年Dは、アングルスコープを通して世界を覗く感覚を覚える。
誰からも見返される心配がないと分かると、たちまち疚しさが消え、みるみる風景も変化しはじめる。風景と自分、世間と自分の関係の変化を、くっきりと自覚することができた。p194
 だから安部公房の作品はどれも、地下に作った方舟やダンボール、砂壁や他人の顔の仮面など、何か異質な隔たりの向こう側から世間を覗き込んでいるのだ。この作品をより深く理解するために、もっと安部公房という作家について知る必要がある。


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by yuzuruzuy | 2010-11-29 23:50 | 読書

『方舟さくら丸』 安部公房

 安部公房の文庫本はこれで11冊目。
 核戦争の危機から逃れるための方舟。その船長、“もぐら”はデパート屋上のガラクタ市場で、“ユープケッチャ”という、自分の糞を食べる閉鎖生態系を持つ虫を見つける。それは採石場跡の地下でひっそり、誰の干渉も受けずに暮らす“もぐら”彼自身のような存在だった。彼はユープケッチャを方舟の乗船審査基準として、生き残るための乗船券を渡す人物を探す。デパートの屋上で出会ったサクラの男女二人組に、方舟の鍵を持ち逃げされ、“もぐら”はユープケッチャを売っていた昆虫屋と一緒に方舟へと向かう。たどり着くと二人はすでに侵入しており、船長もぐらは、サクラとその連れの女、そして昆虫屋とともに方舟の中で過ごすことになる。
 そんな中、侵入者の存在が発覚し、方舟の計画は崩れ始める。もぐらの父、猪突(いのとつ)や、ビジネスの相棒、千石などが現れて、ストーリーは展開し、その上もぐらは、足を滑らせ地下にある便器に片足を吸い込まれて嵌ってしまう。
 核シェルターというテーマにしては展開もそれほど大きくなく、時間にしても数日経たない間の物語。核戦争の危機から逃れるということを建前にしながら、この小説のテーマはは、社会からの隔離というものではないか。「生きのびるための切符」を渡す相手を探しながら、なかなか適切な人物を見けられない主人公。結局は地下でひとり誰の干渉も受けない暮らしに満足していたのかも知れない。世界と繋がりたいのだけれど、それがうまくできない男。登場人物たちは感情を言葉にしてあまり表に出さず、かわりに、身体的な接触、名前の呼び方や細かな仕草でそれぞれの感情が読み取れる文体。特に、主人公と昆虫屋の、女の尻叩きの儀式では、もぐらの女に対する欲望心と、昆虫屋への猜疑心が渦巻いている。
 改めて、安部公房の文章は緻密すぎる。冒頭の方からさまざまな伏線が引かれており、ほぼ完全に世界観を作ってから文章にしたのであろうことがよく分かる。天才というよりもはや変態だ。
 ≪豚≫という言葉にコンプレックスを感じている主人公はあまりにも卑屈に考えすぎていて、それがそのまま文章化されているので、慣れなかったらとても面倒くさいと思う。でもそんな主人の苦悩やもがきがまわりまわって滑稽なものとなってしまう。それが安部公房作品の醍醐味。オチもいつもの安部公房作品と同じで、めちゃくちゃ考えさせられる。それは脱出だったのか?それとも閉じ込められただけなのか?ブラックユーモア、皮肉、苦悩、妄想。悲惨な滑稽さ。脱出の夢。待っているのは透明な景色。
手を通して街が見えた。振り返っても、やはり街は透き通っていた。街ぜんたいが生き生きと死んでいた。誰が生きのびられるのか、誰がいきのびるのか、ぼくはもう考えるのを止めることにした。(p374)


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by yuzuruzuy | 2010-11-28 23:59 | 読書

『エロ事師たち』 野坂昭如

飲むよ 飲ませてちょうだいよ
いいねぇ 飲む達人になりたいね
ある意味もうあこがれに近い感じがあるよ
赤塚不二夫にキース・リチャードね
野坂昭如に藤原組長でしょ
粋だねぇ 下町情緒だよね

ミスチル『友とコーヒーと嘘と胃袋』
でお馴染み(?)、飲む達人、野坂昭如の傑作。それよりも、『火垂るの墓』の原作者と言ったなら分かるはず。
 題名からして如何わしいです。新潮文庫から出ている歴とした文学作品。僕の読書遍歴もレベルが上がってきたということか。電車の中で怪しいカバーは外して読んでました。
 戦争から十数年後の貧しい世の中でエロ事師という不法な商売をするスブやん以下その仲間、そして家族をめぐる話。最初の空襲で母を亡くす回想シーンは、壮絶で、確かに『火垂るの墓』を思い起こさせた。
 結構露骨な描写をしているのに、古語を交えた関西弁のような文体で、下品にはならない。リアルに描いてるようで、そこから感じるのは奥深い観念。馬鹿馬鹿しいのになにか崇高なものを感じさせる。
 この文章はなんなんじゃ?書き方によっちゃめちゃくちゃ下品なのに、“狼口鯨頭”やら“竜飛虎歩”などと厳厳しく書かれたら、
自然と辞書に手が伸びて、調べてみても載っとりゃせん。ニュアンスで分かるけど。
 舞台が京阪神で、西宮北口とか仁川も出てきた。関西弁の文章はやっぱりリズムが独特だ。それに他の方言にはない哀愁があるんだなぁ。町田康もそうだが、土地の雰囲気が染み付いた文章を書けるのはうらやましい。
 アイロニーやブラックユーモアも満載。戦後のパワーを感じました。
 僕も、飲む達人、読む達人、そして書く達人になりたいです。


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by yuzuruzuy | 2010-11-23 22:42 | 読書

『「悪」と戦う』 高橋源一郎

 この前読んだ『13日間で「名文」を書けるようになる方法』の中で言及されていた、著者の子供をモデルに書かれた小説。「悪」ってなんだろう?まず題名を読んでそう思った。この世の「悪」、戦争?テロ?殺人犯?偽善者?それとももっと分かりにくい哲学的な何か?難解な文章を覚悟して読み始めると、あまりの読みやすさに、肩透かしを食らう。寝る前の子供に絵本を読み聞かせている親のような話し言葉で書かれている。
 プロローグ~1、2章まで、語り手は小説家の父親(わたし)。次男のキイちゃん(1歳半)の言葉の発達を心配している。
長男のランちゃんだけがキイちゃんの「どっ」とか「だっだっ」とかいう言葉がわかる。心配してるわたしをよそに、奥さんはどっしり構えてわが子の成長を見守っている。ところどころ、というかほとんど、『13日間で「名文」…』に書かれていたエピソードと同じ。この部分を書いたのと、実際の体験と、どちらが先だったんだろう?実際の体験があったあと、加筆修正されたんだろうけど。
 “わたし”(父親)は、買い物の途中、“ミアちゃん”という、奇形の顔を持った少女を見かける。誰もが視線を逸らしてしまうその少女の顔を、一瞬「美しい」と思った“わたし”。しばらくたったある日、2人の子供と一緒に行った近くの公園で、わたしは再びミアちゃんと出会う。砂場で一緒に遊んでいる子供たちを眺めて、わたしの隣で、ミアちゃんのお母さんがつぶやく。「わたしは『悪』と戦っているのです」。あらすじはここまで。
 ここから物語はすっかり変わってしまう。簡単に言うなら、弟のキイちゃんを助けるために、長男ランちゃんが、マホさんという女性に導かれて、いろいろな(ここが重要)カタチで、『悪』と戦う(戦っているのだと思われる)。そこに、ミアちゃんが深く関わっているといった具合。それは夢なのか?未来なのか?存在するもうひとつの世界なのか?分からない、そしてなぜそんなことやらされているのか?しかし登場人物がほとんど“こども”。きっとどこかの“こども”の世界なのだろう。
ぼくは、ほんとうに、あくとたたかったんだろうか?ぼくは、なにをおいてきたんだろう?わからない。それから、あくって、なんかかなしいね。それから、なんか、あくって、そんなにわるくないきがするんだよ。あくって、ほんとに、あくなのかな……。p275
うーむ。よく分からない。中には、イジメとか虐待のような重いテーマも含まれているようで、それらは、「悪」のなかに含まれている気もする。でも、それを一方的に「悪」だと決めてしまう「正義」のほうも、実は「悪」なんじゃないか?
ねぇ、もしかしたら、「悪」の方が正しいんじゃないかって、ちょっとだけ、ぼくには思えたよ、マホさん。だったら、ぼくは、正しい「悪」をやっつけちゃったのかもしれない。じゃあ、ぼくの方が、ほんものの「悪」じゃん<!違うのかなあ、マホさん。

ぼくがそう訊いたら、マホさんはどう答えるだろうか。決まってるよね。

「べビちゃん、ユーが、自分で考えな!」って。p270-271
 このマホさんの正体にも、考えさせられた。分かってから、さらに考えさせられるものがあった。「悪」ってなんだろう?
世界のほとんどは「善」と「悪」に分けられているようだけど、それを疑ってみる。マイケル=サンデルの授業だったり、太田光の『マボロシの鳥』のテーマにも重なる気がした。「善」と「悪」も、もともとはどこかで繋がっているのだろう。


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by yuzuruzuy | 2010-11-19 20:10 | 読書

『マボロシの鳥』 太田光

 爆笑問題・太田光 初の小説集は9つの短編からなる作品。今年亡くなったサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』へのオマージュかな。まだ読んでいないのでそちらもどんな“9つの物語”なのか、読んでみたい。
 それぞれの物語について、結構なネタバレあり、独断と偏見大いに承知の感想をば。


≪荊の姫≫
 TV番組で、伊集院光から、
「この人が、イバラで覆われたお城に住むお姫様の話なんか書いてんですから。」
なんていじられてた。いきなりメルヘンかい!と確かに思ったけれど、そう一筋縄ではいかない。
 荊の姫は、全身薔薇の棘で覆われていて、動くたびに血を流す。そんなんでよく生きてこれたなという野暮な突っ込みはさておき、読んでいてとにかく痛い。世界と触れ合おうとするたびに血を流してしまうこのいたいけな少女は、人のぬくもりを知らない。そんな荊の姫を救い出そうと、何人もの男たちが城へ近づいたが、あるものは荊で覆われた怪物のような城に恐れをなし、あるものは荊の姫を目の当たりにして何もすることができないまま。荊の姫を救えた者は誰いなかった。そこへまたひとりの男がやってきて…。
 荊の姫は他人と、外の世界と接することに敏感になってしまう現代社会の犠牲者なのかもしれない。いや、いつの時代にも不条理なこの世界で人は人と接することで傷ついてきた。世界と向き合うことはこんなにも痛くてつらいものかと考えさせられた。
 少女が初めて人の温もりに包まれたとき、何年も少女を見守っていた老婆は白い小鳥になり、城の窓から空へと羽ばたいていく。
 かくして、『マボロシの鳥』をめぐる物語、始まり始まり。

≪タイムカプセル≫
 第二次大戦、そして現代の沖縄をめぐる物語。はっきりとはかかれていないけどテーマは明らか。兵士として過去にキレイな海のある島に爆弾を降らせた青年と、65年後、その島で生きるもうひとりの青年が、“タイムカプセル”によって繋がる。“繋がる”っていう言葉は、とても希望的な意味で用いられることが多い。
過去と未来には、私達には見つけられない不思議な繋がりがあるものです。p45
 この物語では、とても悲劇的な結末が用意されていた。しかし結末が問題ではない。確かに、世界はどこかで繋がっている。ただそれだけ。そんな、この世界の不思議をかいま見た気がした。政治思想的に見るとラディカルで短編小説で主張するには未熟な感じが否めず、そこからは少々距離をとってひとつの物語として読んだ。


≪人類諸君!≫
さて!今からこの私が皆様方にお聞かせするお話は、語るは涙、聞くは笑いの物語。
 饒舌な一行から始まる、危機に瀕した人類に捧げる警句。ここまでの物語口調とは打って変った、リズミカルな文体にまず違和感。まさに芸人の真骨頂である言葉遊びを駆使し、爆笑問題の漫才よろしく世相を切りつつ、他の芸人や有名人を茶化しながら語られる。あ、あの人のことか、あの事件のことかなどとニヤッとしながら読んだ。アマガエルが出てきたとき、いつかの爆問学問で太田が描いた、地球からピョ-ンと飛び上がるカエルの絵を思い出した。著者にはカエルについて何やら思うところがあるのかもしれぬ。“飛びます!飛びます!55号。”…て(笑)、書いてて楽しかったのだろうなと勝手に推測。とにもかくにも、これは無意味な漫談なのか、はたまた歴史的演説か。古いのか新しいのかよく分からない(どっちかというと古いな)言葉遊びが、読んでいて楽しかった。


≪ネズミ≫
 ネズミって、村上春樹にも出てきたよなぁ。会見での「村上春樹に書評を書いてほしい。」との言葉通り、意識してるのかな。
爆チュー問題なんてのもやってるし…かなり意味深だ。冒頭に出てくる散弾銃を持ち学校で殺人を犯した青年は、アメリカの大学や池田小の事件がモチーフか。事件後自殺したその青年の死体から、悪魔が出てくる。悪魔メフィスト。ちょうど今日買ったエレファントカシマシの新譜の最後の曲のタイトルと繋がり、ピーンときた。悪魔の独白で、ゲーテ、ドストエフスキー、カミュの小説の主人公、そしてアドルフ・ヒトラー…悪魔に見初められた人物たちに言及。ファウスト、ラスコーリニコフ、ムルソーを放り込んでくるあたり、やっぱ小説好きなんだな。そして悪魔が次に目をつけたのが、学校で誰からも嫌われ、美術室で誰からも嫌われるような絵を描く少年ネズミ。
 ネズミは人が嫌うものの中に美しさを見出す。その美意識は悪魔をも打ち負かしてしまった。ネガティブな雰囲気で覆われたなかに、一瞬本当に美しいものを見せられるような文章だった。自分はこの話のトーン好きだな。でもやっぱりネズミとは友達になれないだろう。ネズミもきっと僕を相手にはしないだろうと思う。


≪魔女≫
 ひとことで、魔女の子タバサが処刑される話。タバサの母は、周囲から“魔女”のレッテルを貼られ、過去に処刑された。そして今、タバサも母と同じように、人々の目に裸で晒され、磔にされている。
ただ“魔女”という“言葉”が先に、この世界にあり、その言葉を現実にする為に人は魔女を探しはじめたのだ。いるはずもないのに。
言葉の意味は恐怖を伴って、人々の意識の奥底に根付き、伝染し、“人々の意識”が、やがて目に見えない大きな怪物になり、誰にも止められない暴走を始めた。p102
 魔女の言葉は、人々には呪文にしか聞こえない。タバサにも、周りの声はもはや怪物の醜い呻き声にしか聞こえない。
“魔女”という言葉が、もともとひとつであるべき世界を分断してしまった。これは魔女に限らず、今世間で起こっていることでもある。“容疑者”というレッテルを貼られて人は犯罪者となる。犯罪者の声は世間に届かない。言葉の恐ろしさ。それは真実なのかも知れないが、そうでない場合もあるんじゃないか。本当はみんなと同じなのに、ひとつの言葉に閉じ込められて苦しんでいる人がいるんじゃないか。そんなひとつの“言葉”が生んだ悲劇の物語。日ごろから言葉を武器にし、それゆえに言葉への疑いを誰よりも持つ著者だから書けた話だと感じた。
「魔女とは、なんて恐ろしいんだ……」
 皮肉なひと言で物語は終わる。


≪マボロシの鳥≫
 表題作。火の鳥的な、マボロシの鳥をめぐる話。“マボロシの鳥”とはなんだろう?それがこの本を通しての読者の最大の疑問だと思う。この話は、芸人、太田光にとっての“マボロシの鳥”に対する答えのようだった。ところどころ、太田のつぶやきか愚痴のように話は脱線する。
自分の芸は自分が一番よく知っている。舞台に立ちもしない奴に何がわかるんだ!
とも思うが……。
……ん?
……話が脱線したようだ……。
……そう言えば、芸人のクセに、声高に政治家を批評して世間から失笑を買っていた奴も、どこかの世界にいたっけ……。p127
言い訳がましい。…でも、こういうところが好きなんだよな。自分は。自分のダメなところをわかった上で肯定しようとするところ。まぁ自分じゃ決してダメだとは思ってないんだけど。ん?……どうやら僕も脱線しがち、いかんいかん。
言葉というのは、何て不便なものだろう。
それでも我々はこの不器用で不便で陳腐な“言葉”を使わなければ、誰にも何一つ伝えることができないのだ!どうにも不自由でたまらない!
……また愚痴になった。p142
ひとつ前の『魔女』にも出てきた、言葉に対する疑念がここでもでてきた。
 話を戻して主人公の芸人、魔人チカブー(変な名前!)は、世にも美しい鳥を出す芸で、一世を風靡する。しかし、ある事件で、その鳥を失い、舞台から去ってしまう。もうひとつの世界では、タンガタという青年が、伝説の“幻の鳥”を手に入れ、文明を築く。ちなみに、どこかで聞いたような“タンガタ”という名前は、─ イースター島の伝説に登場する、鳥とヒトの属性を併せ持つ存在、もしくは名誉称号のことである ─(wiki参照)ところの、鳥人、“タンガタ・マヌ”からきているようだ。どっかで聞いたと思ったのは、芥川龍之介『蜘蛛の糸』の“カンダタ”のせいだった。いやはや、勉強になりました……おっと失礼、また脱線。タンガタは全てを得た後、その鳥を逃がしてしまう。それは正しい行いだったのだろうか?僕なら、あなたならどうする?きっと手放したくないだろうな。勇者であるタンガタも、後悔した。それでも、“俺は持ちすぎた”、“鳥を手放そう”。タンガタに、そして読んでいる僕たちにそう思わせる“何か”がこの世界にある。それが、“世界の秘密”。
実は、“秘密”と言いながら、タンガタも、我々も、それが何かをとっくに知っている。
あなたも、彼も、彼女も、みんな、もうすでにそれを知っている。
(中略)
……自分は誰かと繋がってる……。
そして、
……この世界は、別のどこかと繋がってる……。p198-199
 まさにこの本の中核をになっている物語といえる。魔人チカブーの物語は、長くなるし割愛しておこう。
実に厄介で、面倒で、世界はいつでも、ドタバタだ。p166
この一行に尽きるな。


≪冬の人形≫
 さあさあこの9つの物語もここから大詰め寄ってらっしゃい見てらっしゃい……と、『マボロシの鳥』の魔人チカブーの芸の呼び込みっぽく言ってみる。僕にそうさせるのも無理はなく、すっかりこの本の世界にどっぷりつかってしまっている自分にこのあたりで気づいた。そんな読み手の気分を知ってか知らずか、話はここでまたトーンダウン。
 父の通夜に出席した娘、冬子の話。父親ひとりに育てられてきた冬子は、シングルマザー。娘の名前は春子。自分の生き方、娘の育て方に反対され、仲はギクシャクしたまま父は他界してしまった。父が亡くなって初めて冬子は、自分と父と春子の間にあった“繋がり”を見出していく。前の『マボロシの鳥』で盛り上がった熱を少し冷ますクッションのような役割を、この短い話が果しているような気がした。


≪奇跡の雪≫
 熱が冷めたところで、また深刻なテーマの話。スミレ、アオイ、アザミという日本的な名前を持つ人物が生きる世界は、
9・11で、大国を震撼させたあの国。“テロ”という言葉を使わずに、この国の目線で書かれている。大国に“聖戦”を掲げ立ち向かう組織の人間の名前は、ザックやハムザという、非日本的な名前で区別されている。名前によって、前に出された少女2人(スミレ、アオイ)と少年(アザミ)に読者が感情移入できるようにしているのだろう。──平野啓一郎『本の読み方』の受け売り。登場人物の名前に込められた意味。参考になりました。
 “テロ”国家と呼ばれたあの国にも、きっとこんな物語があったはず。ひとくくりにしないで、相手の物語にも目を向ける。そうすれば、どこかで分かり合える部分があるんじゃないか。そんなことを考えさせられた。この話だけでもいいからみんなに読んでほしいと思った。詳しくは書かないでおくから……(面倒なのもあるけれど……)


≪地球発……≫
 この物語にも、著者の小説への思いが込められている。すごく簡単に言えば、『星の王子様』と、『銀河鉄道の夜』、そしてこの『マボロシの鳥』を重ね合わせた物語。少々卑怯だと思う人もいるかもしれないが、この発想は面白いし、簡単にできることじゃないと思う。卑怯だなんていったら、じゃあお前がやってみろよ!という著者の声が飛んできそうだ。あ、あの話のあの部分か、と思いながら読んだ。この3作品を、まとめてもう一度しっかり読もうと思う。“この世界は、別のどこかと繋がってる”というテーマの作品を締めくくるにふさわしい物語だなぁと思った。


ふぅ、とんでもなく長くなってしまった。(たぶん読む時間と同じくらいかかった…苦笑)。短編のおかげで読み易く感想も持ち易かったと思う。最初はどうしても“爆笑問題太田光の小説”という言葉にとらわれて読んでいたけど、途中からその世界にすっかり引き込まれた。是非ともこれから読む人には、そんな偏見をとっぱらって読んでほしい。水嶋ヒロみたいに、名前を隠して(隠しきれていたのかは不明だが)出版したらどうなってたんだろう?でも太田光らしさに溢れているし、彼の世界観が好きな人ならそれでも分かったかもしれない。まぁ、どこかで過大評価してる自分もいるのかな?思想的に共感する部分が多いせいもある。批判することも覚えなくては。いや、最初の2作くらいまでは正直“意外に幼稚な文章だ”なんて思ったんじゃけど、だんだんとそれを上回るものがページをめくるにつれて流れ出してきた。自分もいつかこれまでの読書や経験を生かして“何か”書けたらなという刺激にもなった。
 悲しいニュースをTVで見たあとだったので、沈んでたココロを持ち上げてくれた気もした。ようやく自分の感想も書けたことだし、今まで封印してたいろんな人の評価も見てみることにしよっと!


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by yuzuruzuy | 2010-11-16 23:39 | 読書

『カールじいさんの空飛ぶ家』

トイストーリーでおなじみのピクサー作品なので期待大で観た。
おじいさん+空飛ぶ家なんていうタイトルからして自分にはどストライクなのだ。

感想を箇条書き。

序盤はカールじいさんの少年時代。
奥さんになるエリーとの出会いから始まり、結婚、老後まで、ほとんど台詞なしで時間の経過とか夫婦に起きた出来事などの情景を音楽と映像のみで描いてる部分にまず感動。
スムーズに観客を物語に引き込む巧さはトイストーリーでも味わったとおりだった。
細かい部分では結婚式でのそれぞれの親族の描き方(エリー家は賑やかでカール家はおとなしい)も面白かった。

カールじいさんの家が風船で持ち上がるシーン。風船が一気に飛び出すシーンはとてもキレイだった。
偶然にもこの前見たモンティパイソンの老人たちの会社のビルが動き出すシーンみたい。
影響を受けているのか?

そこから物語は一気にヒューマンドラマから冒険ファンタジーへ。

嵐の中を家が飛ぶシーンはいつか見たオズの魔法使いで、竜巻で家が飛ばされるシーンを思い出させた。
影響を受けているのか?

あまりにもあっけなく目標地点付近に着陸して、
あれ?もう着いちゃった?と思ったけれど、ここからが本番だとは…。
喋る犬とか出てきたけど、その喋ってる仕組みも世界観を壊さないナイスアイディアだと思う。
あれを見てから、夜中に散歩をしている犬がつけてる点滅する首輪を見る度、
喋ったら面白いのになぁなどと思う。

かつてカールじいさんが憧れた冒険家マンツがまさか悪役になるとは思わなかった。

ここからはとにかくおじいさんが主役とは思えないほど展開が早くて、
トイストーリー同様ジェットコースター状態。
最後の格闘シーンは手汗をかきながら見た。
老人だけありぎっくり腰とか入れ歯とかベタなギャグ、笑ってしまう。

マンツさん最後はあーなってしまうのかぁ…
自分ならどうするかなぁと考えた。

もちろんこの物語の結末も、まったく読めなかった。
そこで落としどころとなったのが一緒に冒険をした少年、ラッセル。
妻エリーとの旅を果たしたカールじいさんは、ラッセルと次の旅を始める。
その決心をしてから、カールじいさんがいきなりかっこよくなった。

そしてラストシーンはもちろん感動。
カールじいさんとラッセルそれぞれの冒険が見事にひとつになった。
おじいさんと純粋な少年と動物(犬)。心情に訴えかけるのに十分な要素。
映画館で観たかったな。

とにかくアイディア満載で細かく書こうとするとめちゃくちゃ長くなりそうだ。

これからピクサー作品はなるべく映画館で。

カールじいさんの空飛ぶ家 [DVD]

ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント


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by yuzuruzuy | 2010-11-15 23:57 | 映画

20101115

ケイドロする小学生に狙われている気がした暗闇の公園ジョギング


再生紙トイレットペーパーに黒点を見つけやさしい気分
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by yuzuruzuy | 2010-11-15 02:32 | つぶや句

『13日間で「名文」をかけるようになる方法』 高橋源一郎

 題名からして、正直ちょっと胡散臭いなぁと思ったのが古本屋での第一印象でした。高橋源一郎という有名な作家の名前は聞いたことがあったのと、13日間というなんとも区切りが悪い、しかし自分の好きな数字に興味を持って、読んでみました。
 内容は、予想していたのとはまったく違ったものでした。明治学院大学での著者の講義「言語表現法」を書籍化したもの。
これまた講義名から感じる堅苦しさとはまったくかけ離れた内容で、学生と高橋先生の距離がとても近く、毎回の講義前の、
「あなたたちの元気な顔がまた見られて、とても嬉しいです。」
というひと言や、独特の優しい口調に心温められつつ読み進めました。
 講義で学生は、ジャンルや作者の有名無名にとらわれないさまざまな文章に触れながら、毎回出される課題の答案として、自分なりの文章を書いて授業内で発表します。それに対し、高橋先生は、文章の「添削」はしません。ただ、生徒の文章の感想を他の生徒に訊ね、一緒に「考える」のがこの授業。
 「名文」とはなんだろうか。そもそも「名文」なんてものが存在するのだろうか。
 その点について、わたしは、そんなにむずかしくは考えていない。
 人は誰でも「文章」を書く。そして、ある文章が、他の「文章」より、面白かったり、考えこませたり、気になったりするなら、その「文章」が「名文」である可能性は高い、ということになる。
(中略)
 ということは、誰もが「名文」であると認めるような「名文オブ名文」みたいなものは、ないのだろうか。
 そんなもの、ないんじゃないか、とわたしは思う。
 では、「文章」なんてものは、各人が好き勝手に書けばいいのか。
 とりあえずは、それでよろしい。しかし、それは、「名文」の入口、というか、「文章」の入口、というか、「ことば」の入口に立つための、最初の一歩にすぎないのだ。

“あとがき”より
 その、「ことば」の入口に立つ、最初の一歩を踏み出すための本なのだと思います。
 なかでも感動したのが、途中休講をはさんだ後の、休講中に先生が体験した出来事(事件)についての話。二歳の息子のシンちゃんが「小脳性無言症」という病気に罹り、ことばを話せなくなってしまったのが、休講の理由でした。当時、ちょうど息子をモデルにして、ことばを失った子供の小説を連載していた先生は、わが子が小説と同じ病気に罹ったことに責任を感じ、思い悩みます。そして先生は、入院中ベッドで横になっているシンちゃんに、なんとかことばを取り戻してもらおうと、絵本を読み聞かせます。すると、絵本の文章のなかの、“きゅるり きゅるり”といった「音」の部分で、それまで外の世界に無反応だったシンちゃんが、微かに笑ったのです。それから次々にシンちゃんが好きな絵本を読み聞かせ、最後には声を出して身体を揺らしながら笑うまでになりました。この本自体がただの授業ではなく、ひとつの小説のように感じられました。事実は小説よりも奇なり。
 他にも、授業の中でAV女優の履歴書を使ったり、先生が最近はじめて見たストリップとバレエの話をするなど(あくまで授業に関係のあることとして)、その場その場で変わっていく、とても自由な授業の雰囲気が読んでいても伝わってきます。形式的ではない、“そのとき”しかできない授業。
 一つ前のレビューで書いた、『本の読み方』『小説の読み方』。この二冊と同じ時期にこの本を読んだことにも意味があるような気がします。どちらも、自分で「考える」こと。文章には正解がないこと。前者二冊が「読み方」「書き方」について、どちらかというと書かれた「文章」そのものについての本であるのに対して、この本は読むため、書くための、もっと根本的な、“なぜ人は「文章」を書くのか?”という動機となる部分について書かれている本。講義に参加している学生の「文章」もとても面白く、「名文」といってもおかしくないほどのものでした。なにより、高橋源一郎という作家に興味が持てたので、著者の小説も読んでみたいと思いました。
 自分の「文章」を書くことに迷いが出てきたときに開いて読み返したい一冊。


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by yuzuruzuy | 2010-11-13 13:13 | 読書

『本の読み方』 『小説の読み方』 平野啓一郎

 読書方法についての本は今までいくつか読んできたが、読書の効能を書き連ねた精神論に近いものが多かった。この2冊は、本、小説の読み方について、芥川賞作家の平野啓一郎氏が独自の理論で分かりやすく説明し、同じ本の中で他の作家たちの著作を使った実践篇として具体的に書かれている。
 筆者が勧めているのはスローリーディングという、速読とは正反対の読書法。速読が、「明日のための読書」なら、スローリーディングは「5年後、10年後のための読書」と筆者は言う。ひとつの文章に込められているさまざまな情報を取りこぼさずに、書き手の視点に立ち、また自分なりの解釈(豊かな誤読)も大切にする。一冊の本を、より広く、深く読むための「量」より「質」の読書。
 小説家は、助詞や助動詞にまで気を配っている。何気ない描写の文章も、後につながる「伏線」となっている。そこで読み流さずに立ち止まって、“なぜ作者はこう書いたのか?”“もし自分ならどう書くか?”主体的に考えることが重要。このようなことは他の本にも書かれていることだと思うけど、実際に読書中に実践するのは難しい。しかし実践篇での筆者の分析はとても分かりやすく、例題として取り上げられている文章も文豪から現代小説家まで幅広いので、なるほど~と唸りながら読み進めた。とにかく目の付け所が細かい。
 並みの読者ではここまで深く読めといわれても…という気はする。ただただ、小説家たちの緻密な文章構成力と筆者の分析力に感服した。書き手の視点に立った読書は、自分で文章を書くときにも役立つ。従って、本、小説の読み方の本でありながら、かつ文章の書き方の本でもあると思った。筆者はすべて実践する必要はないと書いているが、読書の心構えとして頭の中の引き出しに入れておき、読む本に合わせて使える項目を実践していきたい。


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by yuzuruzuy | 2010-11-11 15:46 | 読書

『モンティ・パイソン 人生狂騒曲』

原題:Monty Python's THE MEANING OF LIFE
生きることの意味と価値について問いかけるようになると、我々は狂ってしまう。
何しろ意味も価値も客観的に実在するものではないのだから。≪フロイト≫

このフロイトの名言どおり、人生の意味について問いかける、狂った映画。
超過激な英国式ブラックユーモアに、ファンシーなミュージカル。
連発される下品でばかばかしいギャグと、裏側に感じる壮大な哲学的テーマ。
ディープかつナンセンスなモンティ・パイソンの世界を初体験。

冒頭の短編映画で結構引き込まれた。
“終身雇用社会”で奴隷のように働かされる老人たちが、
反乱を起こし会社をのっとり、会社のビルを地上を走る船に変え、
国際金融の大海原への航海に出発し、
大都市の大きな会社を次々襲う海賊になる。

本編はさらにアイディア満載な一方、過激というか、もう変態。
South Parkとか観てたから、衝撃が少なくて済んだと思う。
作品自体が、人生のように“出産”から“死”へと向かって進んでいく。結構人生について考えさせられる。
でも結局そんなことどうでもいいんじゃないかっていう気にもさせられる。
結構グロテスクで不快なシーンはあるのだけど、それを帳消しにするほどキレイで深いシーンもある。
2つの意味で、フカイな映画。

まぁ、おすすめはしないでおこう。

モンティ・パイソン 人生狂騒曲 [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント


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by yuzuruzuy | 2010-11-10 23:21 | 映画


つまらない、面倒くさいを、面白く。


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