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『くっすん大黒』 町田康

 町田康デビュー作。

『くっすん大黒』
毎日酒ばかり飲んでいて妻に家出された男。むかむかとする怒りの矛先に、部屋に転がっていた不愉快な金属製の大黒。捨てよう、大黒を。自分は、大黒を捨ててこます。しかし、男はごみの分別や近所の視線を気にし始め、ゴミ捨て場に捨てる方法は却下。不法投棄使用と大黒を入れた紙袋抱えて町をぶらつき捨て場所を探していれば職務質問され、あきらめて友人の菊池に大黒を引き渡すことにする。
 菊池の紹介で古着屋で働くことになった男。次の日から菊池と1日交代で働くことになるが、そこで待ち受けていたのが、まったく働く気のないおばはん店員吉田と、客としてやってきたユオロップ狂いのおばはんチャアミイ。奇妙な2人のおばはんから逃げるように、仕事をやめてしまう。そこへ、男が十余年前に出演した映画のツテから、行方不明の芸術家上田京一なる人物の軌跡をたどるビデオ作品のリポーター役というインチキくさい仕事の依頼が来て、わけの分からぬまま撮影に参加していく。
 古着屋での吉田とチャアミイというおばはん2人のやり取りと呆然と眺める主人公の場面が面白かった。
「チャアミイは、とってもファンキーだからゥラスタカラーが好きなの。だから、ぅあたしのお部屋は、みんなみんなゥラスタカラー」と叫び、吉田のおばはんが頷くと、「ぅでもね」といって一拍おいて、一段と音量を上げて歌うような調子で、「ゥベッドルームは、まっっっっっっ白なのぉー」と絶叫したのである。医者へ行け、医者へ。
チャアミイの絶叫と冷静にツッコむ筆者(主人公)の目線の落差に笑った。文章に漫才や落語みたいなリズムがある。

『河原のアバラ』
 天田はま子という狂った同僚のせいで働いていたうどん屋を追いやられ、隠れた生活を余儀なくされた男。そこに知り合いのツテで遺骨運搬の仕事を頼まれ、そこから遺骨をめぐる小さな旅が始まる。主人公がうどん屋をやめる原因となった天田はま子という女がまためちゃくちゃ。チャアミイにしろこんなキャラよく考えるなぁ。でも大阪のおばはんが発想のベースになっているのは確かだろうと思う。

 どちらの作品も出だしの独り言がぶっ飛んでいて秀逸。
≪くっすん大黒の書き出し≫
 もう三日も飲んでいないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。酒を飲ましやがらぬのだもの。ホイスキーやら焼酎やらでいいのだが。あきまへんの?あきまへんの?ええわい。飲ましていらんわい。飲ますな。飲ますなよ。そのかわり、ええか、おれは一生、Wヤングのギャグを言い続けてやる。────

≪河原のアバラの書き出し≫
 おおブレネリ、あなたのおうちは何処?わたしのおうちはスイスランドよ。綺麗な湖水の畔なのよ。やーっ、ほーっ、ほーとランランラン、って、阿呆か俺は。なにもかかるケンタッキーフライドチキン店の店頭で、おおブレネリを大声で歌わなくてもいいじゃないか。ね、ごらん、店員も客も、みな奇妙なものを見るような目をしている。やめてくれないか、そんな目でわたしを見るのは。わたしは狂人ではないのだよ。────
いきなりなにをぬかしやがるこの駄目人間は。と思うのだが、後から続くもっと狂った周囲の状況に中和されて、主人公は彼なりにまともに生きていて、どうしようもなくこんな状況に立っているのではないかと思わされてくるのだ。すべての不条理を受け止めるカフカの小説の主人公みたいだ。


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by yuzuruzuy | 2010-10-22 19:17 | 読書

『ハーバード白熱授業@東京大学 日本で正義の話をしよう』 後半

【Lecture 2】戦争責任を議論する
サンデル氏:これからの講義では、正義の3つの理論や道徳的責任、道徳的義務の問題に関する、さらなる問題を議論したい。

われわれの道徳的義務は、厳密にはどのように生じるのだろうか?

自由意志や、個人の選択の結果としてのみ生じるのだろうか?
それとも、一定の伝統や、文化や、歴史的なアイデンティティを受け入れたり、それに従って生きているということによって生じるのだろうか?

すべての道徳的責任は、個人的なものなのだろうか?
つまり、自分で犯した過ちには責任があるが、自分の前の世代が犯した過ちには責任が持てないというように。

あるいは、集合的な道徳的責任はあるのだろうか?
道徳的責任は、世代を超えて及ぶことができるのだろうか?

──サンデル氏の話では後半はこういった議論の内容。歴史も関ってくる。

まず考えるのが≪家族に対する忠誠心、義務の問題≫
Q.キミはは東大の有名教授だとする。キミの弟は暴力団員で、殺人罪で訴えられている。キミは、弟の隠れ場所の心当たりがある。当局がやってきたら、キミは弟の居場所を教えるか?

最初の意見
捜査に協力する。
家族の一員であるかそうでないかで判断する前に、自分の中の判断の一貫性を大事にするから。
家族のメンバーが社会の誰かを殺してしまうということは、家族のメンバーとして許してはならない。
ひとりの人間としての道徳を重んじた考え方。自分もこちらの考え方。

反対意見
弟を守る。
家族を信じることができなければ、社会も信じられない。
兄弟を信じられなければ、それより離れた結びつきを信じることはできない。
家族への忠誠心を重要視した考え方。

──自分は捜査に協力する前者の考えに賛成。

≪愛国心の問題≫
自国と他国、大災害が起きたとき、
手助けするための道徳的義務は、自国のほうにより大きく生じるか?
それとも、その道徳的義務は等しく負うべきものか?

挙手では、前者の自国への愛国心を重視する考え方のほうが多かった。
──自分は後者で、愛国心よりも、広く人間的な道徳的義務として等しく負うものだと考える。

前者の人々は、自分が日本に生まれ育ったことの恩恵を感じることで、まずは日本人を助けるべきだと考える。
“コミュニタリアニズム”の考え方。
コミュニタリアンは、人間の人格はコミュニティの中で形成されるとして、コミュニティの価値を重視する考え方。

後者の考えとして、挙がった意見
寄付できるお金が100円だったとしても、50円ずつに分けて寄付することもできる。
日本人だから日本人を救うというのは違うのではないか。

これに対しサンデル氏「もし困っている日本人と外国人2人のうち1人しか助けられなかったら?」
意見者は、そのときはそれぞれの国の状況を見て、より貧しい国の人を助けると考えた。
──難しい問題だ。もしこういう状況になったら、誰でも少しは愛国心が出てしまうだろう。
それでも自分は、国に関係なくより助けが必要だと自分で判断した方を選びたいとは思う。


≪道徳的責任は、世代を超えて負うべきものか?≫

第二次世界大戦での日本が東アジアで犯した過ち
現在の日本人に、それを公の場で謝罪する道徳的責任はあるのか?

最初の意見(No)
過去の出来事を認識する必要はあるが
いつまでも謝り続けるわけには行かない。

反対意見(Yes)
自分の父親、祖父の世代から直接つながっていることは確か。
相手が痛みを忘れるまでは謝り続ける必要がある。
こちらの意見としては、
今の世代はポンと出てきたわけではなく、連続している文化のもとに生まれてきたのだから、
過去の話だから関係ないとはいえない。現在まで続いてきている問題だから。
という意見が出る。
コミュニティの文化や価値観は世代を超えて継続し、そこに前の世代の道徳的責任も含まれるという考え方。


それに対する(No)の意見
戦前と戦後では価値観が変わってしまっている。
戦争で領土を増やそうと考えていた世代と
憲法九条のもと育った世代では責任のとり方も変わってくるのでは。


(Yes)側の意見への補足
歴史を加害者側の視点から観るべきではない
被害者の立場に立てば、今でも苦しんでいる人々がいるし、
その人たちのためにできる限りのことをする責任がある。

≪アメリカ人の現世代は、ヒロシマ、ナガサキの原子爆弾投下に対して、責任を負うべきか?≫
オバマ大統領は原爆投下を謝罪すべきかどうか?

(No)の意見
われわれは生まれてくる場所は選べない。
自分の意思により選択して起こったことに責任を負うのは当然だが、
自分が生まれていない前の世代に起きたことについて責任を迫られても納得できないのでは。

サンデル:大きな問題が提示された、今まで追い求めてきた哲学的な問題だ。

全ての道徳的責任とは、われわれの選択や意思から生じる義務なのだろうか。
それとも、ほかのところからも道徳的責任が生じることがあるのだろうか。

道徳的義務は、個人的なものか?それとも、より集合的なものか?

オバマ大統領にとっての、最善で最適な表現はなんだと思う?
彼が生まれる前に、アメリカが原爆を投下した道徳的責任や、道徳的重荷について、表現するとしたら。

オバマ大統領は原爆投下に対して謝罪すべきか?
あるいは、現世代のアメリカ人は、核兵器のない世界の実現のために果たすべき、特別な責任、特別な道徳的重荷があると、オバマは考えるべきなのか?
それとも、その両方なのか?

──自分は道徳責任は世代までは超えないと考えた。
日本が東アジアで犯した過ちは、許されない、二度と起こしてはいけないものとして自分たちの世代も認識する必要がある。
そして、これからの世代にはその歴史と向き合いながら、
より良い未来へとその国々を思いやっていくことが、謝罪を超えた表現の仕方であり、
オバマ大統領がすべきことも同じだと思う。
国というコミュニティを超えた、この時代、この世界に生きるひとりの人間の道徳的責任として、
核兵器を二度と使わせないこと、核兵器のない世界をつくるということが課せられているのではないか。


≪最後にサンデル氏から≫
政治において意見が合わないとき、道徳や、共通善、正義が直面する大きな課題について、決して同意することがないのに、どうしてわざわざ考え続けるのかといわれることがある。ある意味それは正しい。哲学は不可能に見える。なぜなら、偉大な哲学者たちが何世紀にも渡り執筆してきたのに、合意に達していないし、結局彼らにも結論は出せなかった。ではどうしてわれわれがそれ以上にできると自信を持てるのか。わたしの答えは、哲学はある意味不可能だが、決して避けられないものなのだ。ということだ。われわれは毎日その問いに対する答えを生きている。哲学者たちの問いだ。何よりも感動的で、刺激的だったのは、ここにいるキミたちと、2つの講義で行った議論が、哲学は世界を変えることができると、示してくれたことだ。キミたちは意見を戦わせ、正義について、ともに考える力を見せてくれた。どうもありがとう。


──議論すること、そのために自分の意見を持って、相手の意見に耳を傾け、議論を通して学ぶこと。
堅苦しくなく、普通にそのような場が持てたらいいし、議論しながら社会と関わって行かなくてはな。
とにかくいろんな立場にたった考え方の人がいた。普通に暮らしてたら気づかないけど。
グローバル化とひとくちでは言っても、価値観は一致することはない。
その中で生きることに議論は欠かせないのだな。
政治家やコメンテーターや人気芸能人ではなく、TVで一般市民、学生たちが意見を戦わせる様子は、観ていてみんなも勇気が湧くんじゃないかと思った。
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by yuzuruzuy | 2010-10-20 05:56 | 表現

『ハーバード白熱授業@東京大学 日本で正義の話をしよう』 前半

政治哲学者でハーヴァード大学教授マイケル・サンデルが東京大学で行った講義。
NHK教育でハーヴァードでの講義を放送していたらしいけど、観てなかった~。
番組予告で観て興味を持ったので録画して視聴。
なかなか難しかったので自分で理解し易いよう整理しておく。
自分の簡単な意見感想は“──”に続けて挟んでおく。


【Lecture 1】 イチローの年棒は高すぎる?
まず、この講義の根幹となる『“正義”とは何か?』という問題についての過去の哲学者が出した3つの考え方をサンデル氏が提示

①最大多数の最大幸福~「功利主義」(ジェレミー・ベンサム)
幸福の最大化を意味し、最大多数のための最大幸福を追求する。

②人間の尊厳に価値をおくこと(カント)
人間の基本的で絶対的な権利と義務を尊重すること

③美徳と共通善を育むこと(アリストテレス)

これらの伝統を探っていくことがこの講義の目的

≪ここで質問≫
「どのくらいの所得や富の不平等が、社会を不公正にするのだろうか」
巨額の富を持つ人がいる一方で、ほんのわずかしか持っていない人がいるのは、不公平か。
自由主義経済に、賛成か、反対か。

日本の教師の平均年収は約400万円
イチローの年収は約15億円
イチローは日本の教師の400倍稼いでいる

これは公平だろうか?

もうひとつの例としてあげられたのがオバマ大統領
彼の年収はなんと約3500万円
イチローよりもはるかに少ない。

イチローの年収はオバマ大統領の42倍稼ぐのに値するだろうか?

最初に答えた受講生の答えは、“値しない”というもの。
イチローはチームの一員として働いており、その影響はマリナーズというチーム内に限られている。
一方オバマ大統領は、アメリカ合衆国の国民のために働いており、その影響力と責任は世界中にまで及んでいる。だからオバマはもっと高額な給料に値するという考え。
イチローがしていることはオバマがしていることよりも重要ではないという見方。

それに対する意見
イチローがやっていることはエンターテイメントとして人々の生活に必要なもの。
だから我々はお金を払ってイチローの試合を見る。
対してオバマが扱っていることはとても重要だがあくまで「問題」であり、税金を使ってそれに取り組んでいる。
それが所得の違いに現れているという考え。
イチローのやっていることをより重要視する見方。

そこから課税についての問題へ
税金は不公正か?稼いだお金は本人がすべて自由に使えるようにすべきか否か?

始めに課税に反対する意見が出る。
イチローの所得は本人の努力で得たものであり、かつ市場にいる人間が決めたものであるから、国家はそれを再分配するように強制することはできないという見方。
個人の権利を不可侵とする考え方。(リバタリアニズム≒無自由至上主義、市場原理主義)
サンデル「キミは、自称リバタリアンかね?」
意見者「そう思ってます。」
サンデル氏曰く、彼は自分のことは自分で決めるという、“自律”の考えに賛成している。

それに反対する(課税を肯定する)意見
政府は貧しい人に必要最低限の生活水準を保障する役割を担っている。
その実現のために、富を得る機会を与えてくれた社会に属する彼らには貧しい人を助ける義務がある。
貧しい人を救うことのほうが豊かな人の自律の権利より重要だという見方。

サンデル氏「こんな風にディベートが展開していくとは面白い。」

新たな意見
10億ドル稼ぐに5億ドルの税金を課しても痛くも痒くもない。
最大多数の最大幸福のために、再分配は必要であるという見方。
その考えをサンデル氏は“功利主義…正しい行いは効用を最大化する”という考え方と説明
貧しい人の幸福がが増すことは、イチローの所得が減少する割合よりも大きい。
──前の意見の人と同じような立場かな、それを少し突き詰めた視点。

サンデル教授は所得の再分配(課税)を正当化する根拠は他にないかと問いかける。

これに対して、道徳的立場から課税を正当化する意見が挙がる。
自分のコミュニティから、お金がないことによって死んでいく人間を出してはならない。
これが、人類の目的、義務である。
他の誰にとっても進んで犠牲を払う善良さを重視した見方。


サンデル氏がここまでの議論を整理する。
わたしたちは、この議論の中で、正義についての少なくとも最初の2つの異なる考え方が出るのを見てきた。
富の再分配を擁護する“功利主義”の議論(①)を聞いた。

正義についての2つ目の考え(②)から、再分配に対立するさらに2つの意見が出た。
ひとつは、自律の権利、選択する権利は、自分の財産や稼ぎをどうするかの決定権も含んでいると解釈する“リバタリアン”の考え。その財産決定権は国家は貧しい人々を助けるために課税を強制すべきではないという意見。
それに対して、人間の尊厳の伝統と、自律と選択の尊重というカント的な考えに訴えて、リバタリアンの権利の解釈を退ける意見。生命に対する権利と財産に対する権利の間には違いがある。財産はお金であり、生命そのものではない。イチローの稼ぎやオバマが大統領になったのは、チャンスを与えてくれた社会のおかげ。だから彼らは社会に暮らすすべての人を支える借り、義務がある。
このように、所得の再分配に関して、人間の尊厳の倫理(生命的)と基本的権利(財産的)が導くところに、2つの対立する意見がある。
──ここは分かり難かったなぁ。つまりは正義に対するひとつの捉え方(②)からでも、人間の生命を重んじるか、個人の財産を重んじるかで異なった答えが出るのだということか。自分はリバタリアンの考え方に近いと思ったけれど、他人の生命を軽くみるつもりではないのだが。あくまでこれは財産について論じられていると思ったので、また別の議論になってくるのかも知れない。

サンデル氏が続ける。
そして、3つ目の美徳についての考え方(③)。
貧しい人に分け与える倫理、自己犠牲の倫理といった、道徳的な貢献を考慮した意見が出た。
“貢献の道徳的価値”は、イチローよりもオバマのほうが大きいと論じられた(最初の受講生の意見)。
公正な分配の根拠を、美徳や善や、仕事の道徳的重要性に置く、正義の3つ目の伝統に関連している。
──最初に2つと言っていたけど、正義についての結局伝統は3つとも出ていたのか。そこが少々混乱してしまった。だから数字は厄介だ(苦笑)。通訳の問題もあったのかなぁ?


≪そして次の質問≫東大の入学資格はお金で買える?
具体的な状況が設定される。
東大に入学すれば授業でもまずまずの成績を取れそうだが、入試では合格ラインに届かない学力の志願者。しかし東大の入試事務局は、その両親が、非常に裕福で大変な慈善家だと知る。「わが子が東大に入ったら教育設備を良くするため、5000万ドル(約44億円)寄付する用意がある。」と言われたとする。その学生が入学すれば、新しい図書館が建ったりして、みんなのためになる。東大がその学生を入学させるべきかどうか?

功利主義を主張した学生が当てられる。
功利主義の立場に立っても、認められるべきではない。
助かるのはその学生だけであって、社会の公正さは害される。
その不功利のほうが大きい。
サンデル氏「キミは功利主義者だろ?1億ドルだったら?」
金額が大きくなるにつれて不正度が増すので認められるべきではない。

会場のほとんどが入学させるのは不公正であり、間違っているというほうに挙手。


少数派の、擁護する意見
その学生が東大の授業をパスできる水準であるし、それを制度としてまとめておくのならば問題ない。

それに対して反対意見
入学は努力に対するみかえり。お金がある、ないで決まるのは不公正。

新たな意見
東大入学生の親の年収を見てみると、非常に高いものがある。
入試には学力だけでなく、実際には他の学生にも親の金銭な支援がすでに加味されているということを考える必要がある。

サンデル氏
この議論は、大学の目的は何か?ということについて。
それはある意味アリストテレスの議論(③)。
アリストテレスによれば、何が公正かを理解する唯一の方法は、そのものが果たす役割について考えること。正義とは美徳についてであり、この場合、学業の成績やその見込みを持っていることが美徳だと考える。そして新しい図書館を建てるお金を持っている裕福な親を持っていることは、美徳とはされない。これが志願者の入学に反対するアリストテレス側の議論。

──ここらへんは編集で相当カットされてるようで飛び飛びな気がした。
より身近で現実な道徳的問題として、サンデル教授はこの質問を投げかけたのだと思う。


サンデル氏による【Lecture1】のまとめ
わたしたちはどちらの質問でも意見が一致することはなかった。
しかしわたしたちは議論を始め、哲学の大きな考え、正義の3つの概念が存在することを突きとめた。
それらの概念を普段から意識していなくともそれは可能だった。
その結果わたしたちは、正義や権利や共通善という大きな問題に取り組むのは、決して哲学者だけの仕事ではないことを示したと思う。
こういった問題に取り組むのは、市民という意味の一部なのだ。

──以上が前半の講義
お金についてのとても現実的でシビアな問題だったので、
観ていて自分の考えも決めかねてしまった。
“リバタリアン”という自律の権利を重視する意見に自分は近いと思った。
他人を助けることも自分の道徳的な意思でやるべきことで国から強制されることではない。
だからその立場に立てばイチローの収入に文句はない。
そりゃあちょっとは分けてほしいけども(爆)
でもリバタリアニズムを貫けば、自分が貧しくなってしまったとき、他人に助けを求めることはできないのかもしれない。

しかしそれと同時に貧しい人には道徳的に助けが必要であるとも感じる。
だからこそ課税制度があって、その政府は苦しんでいる人を助けるために使われるべきだとも思う。
人間の基本的尊厳、生きる権利を守るために。

自分の頭のなかでも一緒に議論を続けることによって、自分の考えが3つの概念のなかを行き来している感覚はなんとなく持てた気はした。


人それぞれいろいろな意見があって、もっと聞きたかったなぁ。
前半の講義(Lecture 1)は予定時間を40分もオーバーしたらしい。
それで放送の時間は40分。十分内容濃かったけど。
全部その場で受けてたらたぶんボク脳みそ破裂するわ。
それでも生で聞けた人たちがうらやましい。

こういう授業、日本にはないなぁ少なくとも僕の学歴では。

提起されるのも身近な問題で、誰にでも考えられるものだった。
哲学はそこいらじゅうに溢れているのに、
「答えが出ない」と拒否してしまうのはつまらない。
前半最後の言葉に、サンデル教授の思いが込められていたなぁ。
考え、自分の意見を持ち、他人と議論することが必要ってか。


【Lecture 2】へ続く
自分にとっては、より興味がある内容だった。
まとめるのも、もっと長くなりそうだ…
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by yuzuruzuy | 2010-10-19 06:43 | 表現

『プロフェッショナル 松本人志』

笑いは、生き物
鮮度が大事


ガキ使の企画会議の映像
30分そこそこの番組のために4時間以上も会議する
常に新しいことをやろう悩んでる姿が見られた。

次回作の主役は素人。
その人について。
世界でいちばん面白いやつって、世界でいちばん面白くないやつなんじゃないか。
自分で面白いと思ってないあんなに面白くない人がいないくらいに面白くないから、めちゃくちゃ面白い。表裏一体やと思う。だから魅力を感じる。


飲みの席でのちょっと深い話
おれが今だったら、お笑いやってないかもしれない。今は笑いが重宝されすぎてる。おれらのころはもう漫才ブームが終わったころで、芸人の価値がいちばん低いとき。だから頑張れた気がする。なにくそ根性でやってこれた。

子供の頃自転車を買ってもらえず、自転車に乗っていると仮定して店の前でスタンド立てる振りしたりしながら町を回っていたというエピソード。
少し悲しくないと面白くないのかもしれへんなぁおれは。その比率がむずかしいねんけど。絶妙な割合なんやろうけど。どっかに悲しさがないと面白くないんかもしれへんな。

しみじみ飲み会のテンションだ。
ただの芸術家になってしまったらあかんと思ってる。芸術家と芸人は違うから…。でもなんかこぉ…ひざまつきたくないやんか。

かっこよすぎるじゃろ。

後半は前日放送のMHKの舞台裏
録画したのを直前に見ていたのでここから特に面白かった。
最初のイメージは
もうちょっとこう…徳の高いことがしたいですね。志の高い。

NHKだしね(笑)
確かに民放とは違うものになっていたとは思う。
ただただ面白いだけじゃなく、見る側に考えさせられるような。
構成作家との顔合わせで、最初からいろんなアイディアを出しまくる松本人志。
やりたいこといっぱい。いっつもこんなこと考えとるんか。
大人たちが会議室で真面目に面白いことを考えてる様子がすでにコントだ。
アイディアをひねり出し、選んでは捨てる。

結婚という人生の転機に立って、かつてのコントを見返して
自分のコントを振り返って見返したときに、やっぱり面白いなと思うのは結局そんなこう…グロテスクなものとかハードな下ネタとかすごいバイオレンス的なものじゃないところがやっぱり面白いなって改めてちょっと思った部分もあるし。


企画会議は進む。
エレファントチューブやアゴずれなどのコントの空気感を出す用語が生まれたことで、
化学反応のようにつぎつぎアイディアが生まれてきていた。

そして、入院期間を経て、撮影の日
ダイナミックアドベンチャーポータブル
撮影スタッフが普通に
“サプライズボールはフル?”
と確認するのに言ってたのが笑えた。
ナレーションも渋い声でこんと用語連発してるし。

ラストのアゴずれオチはアドリブだったらしい。
少しだけ後悔しているとすれば、アゴが痛いって言ったあと後ろの布団に寝ても良かったかなぁ最後ってちょっと思ってるぐらいです。

もう次の戦いが始まってるという感じだった。

プロフェッショナルとは
えーとぉ…素人に、あのぉ、圧倒的な差をつけてチカラを見せ付けることじゃないですかね。うん…と思いますけど。

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by yuzuruzuy | 2010-10-18 04:16 | 表現

『松本人志のコント MHK』

ごっつとかほとんど観てなかったので、
松本人志のコントを本格的に観るのはほぼ始めてに等しい。
NHKはCMもないし、ネタをじっくり観るには最適。
これから、NHKでコント番組を持つことが芸人の新たな目標になったりして。
公共放送なりの規制はいろいろあるだろうけど、
純粋な芸人にとっては民間放送のほうがもはや不自由なのかも。
それぞれのネタの感想。


≪ダイナミックアドベンチャーポータブル≫
自宅でダイナミックアドベンチャーを楽しむことができる
15万円もする意味不明なマシンを買った男(まっちゃん)
宅配で届き「明日くるとは思ってたんですけど!」と何度も言いながらウキウキ
「どうしよ俺!届けられてるわぁ~」と、のっけから松本ワールド的言い回し。
付属の説明DVDのガイド音声との掛け合いをしながら組み立てる。
エレファンティックチューブとか、ハッピースティックとか、なんやねん(笑)
世界観を壊さないためにあくまでそこにはまっちゃんツッコまない。
理解不能のマシンを何度も「めっちゃええやん」とべた褒め
いきなりシュールすぎる。

一回目は分かりにくかった。
やみつきになりそうな余韻は残ったけど。
観てるほうは分からない、やってるほうは真面目。
そこに生じる違和感が笑いの空気を作るのだろうか。

二回目に観たら、じっくり練られてるんだなぁと分かった。
無駄をなくすためにカット割編集でマシンの位置が移動してたり、
台詞のタイミングや繰り返しとかも考えられてそう。
マシンの動きもとにかくシュール。

あとはオチにも出てきた“アゴずれ”に尽きる。

はまちゃんがおったら、「なんやねんっ!」連発だったと思う。
それがあってこそまっちゃんのボケが爆笑に変わるんかもなぁ。

はまちゃんいないので観ている自分が心のなかで「なんやねんそれ」とツッコんでしまう。
大笑いはできないけど、漂う空気にニヤニヤ笑い。
他人に分からない自分だけの楽しみと考えれば、よくありそうな設定だけど
ダイナミックアドベンチャーポータブル(15万円)
何度も言うけど、シュールやなぁ…


≪劇的!!ビUFOアフター≫
名前のとおり、アノ番組みのパロディ。
NHKでこんなのやってしまうんかぁ。
まっちゃんが匠の役で真面目な演技
“小さいながらも、すてきなUFOだなっていわれるように頑張りました。もう未確認だなんて言わせないぞっていう感じですかね。”
日常とSF的要素を混ぜ合わせた独特の空気感が、『大日本人』と似ている気がした。
最後まで爆発もない、これまた違和感によるクスクス笑い。
長めでちょっと間延びした感があったけど、
ネタの世界にじっくり入り込ませようということなのかな。

こういう無理に笑かせようとしない、ピースフルな笑いは好きです。
いままでダウンタウンの番組見てると笑ってはいけないシリーズとかで不条理なイメージがあったけど、
まっちゃん、こんな笑いも作るのね。
でも、捕らえられた地球人の牢屋まで改装して、改装後は地球人も明るく談笑していたり、
あえて触れないツッコミどころはしっかりあった。
ツッコまないことで生まれる面白さもあるもんね。

ボケをいかに真面目さで隠しつつ、ジワジワ笑いに変えられるか。
そういうとこはNHKっぽい。
微妙と絶妙って言うのは紙一重なんだなぁ。

このコントあたりから、簡単なことはしたくないという
まっちゃんの心意気が伝わってきた気もした。
徐々にまっちゃんワールドが分かってきたような。


≪つぶやけ!アーカイブス≫
NHKの過去の放送の白黒映像にまっちゃんがひと言。
当時は真面目でも今の時代なら笑える映像がたくさんあるのだなぁ。
時代が変われば笑いも変わる。

①三十三間堂の消火訓練
1人1体の仏像を肩に担いで走りまわる消防隊員たち
まっちゃん「国宝の扱い方雑!」

②奇抜な美容健康法
TVで出る素人の有名発明おじさんが作りそうな
いかにも胡散臭い器械で美容に励む女性たち
回転椅子でぐるんぐるんまわされる“回転式体重軽減装置”
最後に出たのが“首吊り式背伸び器”て…いやいや、苦行すぎる。
僕「拷問やん…」
と、自分でもツッコミを考えてみた。
吐き捨てるようにまっちゃん「寿命縮まるわっ」
やはり言葉選びと言い方が面白いねぇ。

③“僕は二つです”
巨漢児ひでたかちゃん(二才)
“ご飯はおおきなどんぶりで、お肉かお魚がなければ食べないという、こだまひでたかちゃん。”
“生後二年八ヶ月で、体重十貫弐百目のデブさんです。”
タイトルと最初の映像だけで噴いた。
二つですって、年齢のことだったんかい…
冷静なナレーションの声と衝撃的な映像とのギャップが激しすぎる。
今これ放送されたら絶対Youtubeで流行るわぁ。
まっちゃん「ひでたかちゃぁん…」
もはやツッコむこともできず(笑)


≪わたしは幽霊を見た!≫
①わたしは幽霊を見た!という人を見た
②わたしは幽霊を見た!というであろう人を見た
③わたしは幽霊を見た!普通に

三段オチ

夫婦が部屋のベランダから向かいのアパートにいる幽霊を見る。
なんとなく雰囲気が好きな大人計画の平岩紙がまっちゃんの妻役で出ていた。
確かに霊感ありそう。

最後は笑いというよりほんとにちょっと怖い。
幽霊を見ているのにぜんぜん驚かない夫婦が生む違和感。
そこが可笑しい。

“あなた、幽霊よ”
“幽霊だねぇ”

“怖いわ”
“怖いねぇ”

“ずーっといると、ずーっと怖いねぇ”

最後のまっちゃんのひと言が残す余韻。
これは笑いなのだろうか?うーむ。


≪答辞≫
逆二中の卒業生答辞
とにかく「逆に」押し。
ジワジワきて、気づいたら声を出して笑っていた。
この前のキングオブコントでまっちゃんがジャルジャルのネタ後に言った
「いつまでも見てられるなぁ。」という言葉
それをそのままこのコントにも言いたい。

難しいこと考えずにこのネタが一番笑えた。
いきなり怒鳴って、素に戻って、
“逆ギレをしてしまいました。”
これにはやられた。
“逆ギレ”は、まっちゃんが流行らせた言葉だ。

“逆に”という言葉を逆にネタの中心に置いたまさに逆の発想。
これからもみんなと逆のことやったるわっていう、
アイディア炸裂の決意表明って感じでした。

最後の
“なんかほんとストレートに、ありがとうございましたぁー!”
は、なんかよく分からんけど逆に泣きそうになりました。

─── 以上 ネタの感想


コントを自然に演じていても、松本人志でないようで松本人志だった。
そういえば、チャップリンもどの映画の中でもいつでもチャップリンだ。
笑いを生んでいるのがチャップリン自身であり、松本人志自身であるからなのか。

友人から聞いた松本人志のエピソードがある。
途上国の難民の痩せ細った子供の写真のネタ(“写真でひと言”)を、笑うことをためらった観客に対して言った言葉。感銘を受けて今でも覚えている。
かなり前に聞いた話なのであいまいだけど、こんな意味のことだった。
“面白くしているのはあくまでもオレ(松本)で、彼らが面白いわけではないし、それで彼らを傷つけているとは思わない。笑わせているのはオレなのだから、オレの発想が面白いのだ。もしかしたらオレは悪かもしれないが、そのオレの発想を笑う客は悪ではないのだ。”

そこまでの信念で生みだされた笑いは、伝わるはずだ。

芸術家は自分の身体を離れた作品で人を感動させるけど、芸人は自分自身で人を笑わせる。
そこが大きな違いなのかも知れない。


お笑い番組ではよくあるわざとらしいスタッフの笑い声もなく、
視聴者に真っ向から笑いとは何かを問う番組だったと思う。


深いねぇ。お笑いは。
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by yuzuruzuy | 2010-10-17 17:01 | 表現

20101012


スーパーにて中島らも似の親父


スーパーにてオノヨーコ似の婦人


カゴのなかには咲きかけの花とぶどうサイダー


1000円以内でホッとする


温かい南瓜とカラメルの甘みにホッとする


恋は盲目愛も盲目だとしても自分は見失いたくないものだ


ならばいっそのこと目を閉じてしまえということですか


襲いかかるロマンチックに寒気でくしゃみの僕ひとり


気取るおのれは山頭火かサカナクションか又吉か


いずれにせよ二番煎じだ嗚呼惨め


録画した日韓戦の副音声として爆笑問題のラジオ


キャンドルジュンとカンドリシノブ


ぴんぴんうるさい前髪でも切るのは寂しい


止まらぬ鼻水英語で言えば鼻が走る


顔面で鼻水どもがシャトルラン
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by yuzuruzuy | 2010-10-13 01:30 | つぶや句

『夫婦茶碗』 町田康

 最近ユニクロのCMでよく見かける、パンクロッカー作家町田康の小説。
他の3人が遠くを見据えたメッセージを主張してる中で、世界中みんな大阪弁喋ったらええねん、しまいには“そういうことです。”だなんて、おもろかっこよいことかましてはります。

『夫婦茶碗』『人間の屑』
 どちらも駄目人間の話。働こうとして、まともになろうとして、でも根っからのいい加減さのせいでベクトルは必ず負の方向。不幸な人の話なのに、読む人に楽しませる想像力があって、笑いとばせる。空想が暴走してSFみたいなところもあり、語り手が酒のみながら目の前で聞かせてくれるような落語みたいな話。
 何より今まで読んだことない、難解そうに見えて読むと親しみやすい文章に驚いた。難しい四字熟語を並べたかと思うと、あぱぱぱ。ちゃわおっしゃー。わちゃあ。なんて大阪の変なおっさんの独り言みたいな台詞が次のページでは連発。思った以上にリズミカルに読める。カラフルな文章、言葉のミックス大洪水じゃー。
 どちらもラストが泣ける。個人的にはどちらかといえば『人間の屑』のラストが狂っていて好き。読んでいて2回くらい、昔見た夢の断片がデジャヴのように一瞬パッと頭の中に浮かんだのだけど、確かめようとその箇所を読み直してもそれがどんな夢だったかは掴めなかった。町田康の文体が僕の無意識にまで働きかけたのか?
 中島らもからも似たようなものを感じたが、一般的に明るいイメージがある関西人が関西弁で表現する独特の哀愁、笑かす、泣かす、ペーソスがたまらなくうらやましくなる今日このごろ。


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by yuzuruzuy | 2010-10-09 23:45 | 読書

『ギリシア神話~神々と英雄に出会う』 西村賀子

 ベルリンのベルガモン博物館でみた古代遺跡の壁画彫刻。そこに描かれたのはオリュンポスの神々と巨人族の戦争。ゼウスとかヴィーナスとか、名前は聞いたことあるなあという感想しか持てなかった。この本はその神々が登場するギリシア神話の主要なエピソードと西欧文明。そこから生まれた絵画などの関係から、古代人の世界観について書かれている。
 序章から二章まで読んだだけで、どれほどこの神話から派生したエピソードが、現代まで伝わっているのかがよく分かり楽しめた。中盤からは古代詩人に寄る解釈があったり、他の文明の神話エピソードとも複雑に絡み合っていることも分かり、読んでいてもなかなか消化しきれず。
 でも、自分たちが親しんできた昔話のように、西欧の人もギリシア神話に自分たちの人生観をこめていて、娯楽的要素もそこにはあったんだと、身近に感じれるようになった。ギリシア神話に出てくる神々はとても嫉妬深く、やってることはハチャメチャ。映画やゲームとかに出てくる怪物たちも、神話を元に生まれたやつらが多くて、名詞を覚えるのが大変だけど、ギリシア神話はいろんな角度から楽しめそうだ。星座と神話の話などは、今のように街の明かりがない古代人だからこそ、星空にまで想像力が及んだのだと思うと、感動すら覚えるほど。
 知れば知るほど、現代の世の中の見方が増えそう。これぞ温故知新の体験です。


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by yuzuruzuy | 2010-10-06 01:15 | 読書

『お葬式』

伊丹十三初監督作品

テーマはタイトルそのままお葬式。
マキノ雅彦監督の『寝ずの番』みたいにシリアスなテーマとのギャップを出すドタバタ劇なのかと思いきや、ぶっ飛びもせず、大袈裟な綺麗さもしない、本当の意味でのリアルさが追求された映画。小津安二郎の映画に近いものがある。そこに伊丹監督のユーモアとアイロニーがまざって、クスっと笑えてホロっと泣ける作品。

人が亡くなる。娘が父の死を知る。棺桶を手配する。遺体に会いに行く。遺体を納棺し家に運ぶ。葬儀屋と打ち合わせをする。葬儀のマナーをビデオで学ぶ。挨拶を考える。通夜が執り行われる。棺の前で親族でお酒を飲む。告別式までの準備をする。告別式が執り行われる。出棺する。火葬場で死者を見送る。火葬が終わるのを待つ。遺骨と一緒に家に帰る。親族で食事をする。親族がそれぞれの家に帰る。

そんなお葬式のシーンを客観的に映すことで、神妙な雰囲気の中での残された人たちの行動を細かく表現している。お葬式は悲しい。それはもちろんだけど、よくみると可笑しなところがたくさんある。正座で足が痺れて目立たないようにみんなが足を組みかえる。男たちが酒を飲んで話が盛り上がる一方、奥さんたちは解散のきっかけを作ろうとする。子供たちはいつもと違う雰囲気にはしゃぎまわる。耳の遠いおじいさんはひとり取り残され別の部屋で寝ていて、帰るときになって見つかる。

特に印象的だったのは吊られた丸太のブランコを宮本信子が立ちこぎするシーン。まだ全部通してみてはないけれど、黒澤明の『生きる』の名シーンを思い出した。その裏では夫役の山崎努が愛人と不貞行為。そこも伊丹監督なりのリアリズムなのだろうか。大滝秀治演じる叔父を嫌いながら、その兄(弟?)である故人を純粋に慕う尾藤イサオがいたりする。葬式は、普段見えない人間関係が見えてしまう場でもあるのだ。

他にも、火葬場での待ち時間の空気は、僕も実際の経験が忘れられないほど独特なものがあって、そこもリアルだった。棺桶が入っていく最後の別れの瞬間と、何をしていいのか分からない待ち時間。あの空間にしかないにおいとともにそのときの印象がよみがえってきた。
さすがに骨壷に骨を納めるシーンはなかったな。あの時間の、係りの人との「ここが咽仏です」などといった会話とか、火葬後の骨から伝わってくる熱やにおいの印象は、幼い子供にとっても強烈なものだ。その代わりのように火葬の様子を小窓から眺めるシーンがあって、点火係り(小林薫)が見る夢の話(結構怖いのでここには書かない)は、昔祖父から聞いた忘れられない話と重なる部分があって、考えさせられた。

葬式とは関係ないシーンでも、CM撮影のときの遠近法を使った撮り方や、カーチェイス風にサンドイッチを手渡すシーンに遊びゴコロが出ていて、わりと静かな本編のなかでカウンターパンチを喰らわせる威力があった。

『おくりびと』はまだみていないが、ここまで切実に響いてくるお葬式映画は他にないんじゃないかと思う。
続けて観るとさすがに気が滅入りそうなので、またこの映画も見直しつつ、他の作品と比べてみたい。
もちろん他の伊丹作品もチェックしよう。

伊丹十三DVDコレクション お葬式

ジェネオン エンタテインメント


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by yuzuruzuy | 2010-10-05 00:44 | 映画

THE SONGWRITERS 佐野元春×山口一郎 ②

今回のワークショップは、
聴講生が“アイデンティティ”というキーワードから触発されたフレーズを書き、
そこに音楽を組み合わせることで言葉の意味がどう変容するかを体験するというもの。
すごくシュールだった。

使用されたのはサカナクションのこの曲
不思議な音の世界


聴講生からはさまざまなフレーズが集められたが、佐野と山口が選んだ言葉たちを曲に乗せてみると、
意図されずして、どこかストーリーのようなものが生まれているように感じられた。
山口:この過程は音楽の世界では実はよくある、チャンスオペレーションって言うもので、その…ひとつの意味を持って、いろいろな言葉が集まってきたときに、それをどう組み合わせるか、それを不規則に組み合わせることで、逆にストーリーが、イメージができたり、なんかそれを今日、皆さんに体感してもらえたらなと思います。すごい良い企画だと思います。


──特定の言葉から、それぞれの世界観に基づいて新たな言葉が生まれ、
それが集まることで新たなひとつの世界になる。

山口:言葉プラス、音が入ることで、その言葉の持つエネルギーが、より増していくというか、奥行きが出てくるんですよね。それが音楽の面白さだし、僕らがいつも、音楽で遊んでいる手法なんですよね。

佐野:その通りだね。悲しいメロディに、楽しい言葉を乗せたらどうなるだろうか…とか、セクシャルなメロディに、過激な、政治的なメッセージを乗せたらどうなるんだろうか…たとえばね。そうした、実験と言うのは、割りと意識的に、やられてますか?

山口:うん。僕はその、良い違和感を探すことが、音楽を作る上でのひとつのテーマなんですよね。その違和感が好きか嫌いか、それがサカナクションらしさ、の基準になっているんですけど。

──たしかに違和感って大事だ。なんかコレ変、でも好き。そこにそのモノや、その人らしさが溢れているように思える。すっと入ってくるだけじゃなく、どこかに引っかかるものがないと、そのまま流れて出て行ってしまう。
音が出す奥行きによって、深い部分で受け手に訴えかけられるものが生まれる。

二回目は、書いた本人たちが曲に合わせてリーディング。
エコーなどのエフェクトがかかって、言葉が反復されて、また違った印象を持つようになる。
ひとりの声じゃなく、女性の声の後に聴こえる男性の声とか、
いくつもの要素、いくつものアイデンティティが共鳴しながら渦巻く、
なんともいえない世界に引き込まれるようだった。

山口:言葉の持つエネルギーと、音の持つエネルギーって言うのは、同じようで違うと思うんですよ。でもそれが合わさることで、また違うエネルギーになるということ。その感覚を、感じてもらえたらなって、僕は思ったんですけどね。

──音楽だけじゃなくて、普通に喋ってるときも、言葉の意味以上に、音としての声が与える印象は大きい。同じ、「ばかやろう」でも、ビートたけしの言う「ばかやろう!」とアントニオ猪木の「バカヤロー!」はぜんぜん違ったものだと思う。ひとりの人の「ばかやろう」でも、笑いながら言うのと怒りながら言うのでは違ったエネルギーを持つだろうし。
言葉にプラスされるエネルギーは喋るときにおいては感情。音楽においてはメロディ。
メロディと歌詞が合わさったエネルギーが、その音楽を聴く人の感情を揺さぶるのか。

《サカナクションの曲『アイデンティティ』と、今回のワークショップについて》
山口:“アイデンティティ”っていう言葉は、実はすごくシリアスで、使い方によってはものすごく、危ないって僕は思ってたんですよ。で僕はこの曲を『アイデンティティ』というタイトルにする前のタイトルがあって、実は、『アイデンティティ少年』っていう…タイトルだったんですよね。“アイデンティティ”という言葉だけじゃなく“少年”という言葉をつけることで、“アイデンティティ”という言葉の響きが、少し柔らかくなる…で、いろいろな、…その、奥行きがそれに出てくるかと思って…だけどそれで詞を書いていったときに、方向性がひとつしかなくなってしまったんですよね。“アイデンティティを持っている少年”なのか、“アイデンティティがない少年”なのか…その“少年”のほうにフォーカスが来すぎてしまって、で僕は、“アイデンティティ”という言葉だけをタイトルにして、じゃ、その怖さを、シリアスさを、じゃあどういう風に曲の中で和らげていこうか…もっとみんなにいろいろな捉われ方をしてもらえるようにしようかという、その作業が、そういう過程自体が、僕にとってのその、アイデンティティになっていったんですよ。だから今日こういう風に、みんなが“アイデンティティ”という言葉から、いろいろ連想して、それを実際に言葉に発して、音楽に乗せて、いろいろなイメージを持って、それを僕らが共有できたっていうのは、なんか、これからまた新しく音楽を僕も佐野さんも、作っていく、なかで、僕はすごく背中を押された感じがしたと思いますね。

──ワークショップのテーマとなった自分の曲のエピソードと合わせてうまくまとめるなぁ。佐野さんもひと言、「あぁ、素晴らしい感想だね」。“僕はすごく背中を押された感じがした”…心に沁みてくる言いかただなぁ。
『アイデンティティ』はまだちゃんと聴いたことないけど、このタイトルについてのエピソードは聴けて良かったなぁ。好きな曲ほど、その歌詞がどんな思考の過程で書かれたのか知りたいもの。感動した絵があったら、その絵がアトリエで描かれる過程を見たいし、好きな人ができたら、これまでどんな人生を送ってきたのかを知りたくなるように。目の前の歌詞カードに見えている文字だけでなく、出来上がるまでに何度も書かれては消されていった言葉たちの存在を忘れてはならない。

Q.サカナクションと言うフィールドに心苦しさ、窮屈さを感じることはないか?
山口:僕が、すごく心苦しく思ってるのは、もっと大きな枠で、音楽シーンとして、そういうフィールドの中でいったい自分たちがどういうことをやっていけばいいのかって言うこと。そこをすごく心苦しく思ったりすることはありますけどね。自分が好きなことをやっても、ちゃんとその…受け入れてくれるだろうかとか、シーンは、リスナーのみんなは分かってくれるだろうかとか、音楽にあまり興味がない健全な人たち?(ニヤッと笑顔)…そういう人たちにいったい、音楽が好きな僕らが作った音は届いていくのかなって言う…それをすごく悩んだりするときはありますけど…ね。

──今の日本の音楽シーンを自分たちが好きな音楽で変えたいという強い思いが伝わってきた。
自分が良いと思うものでも、他人にとっては無価値だったり、無理やり押し付けようとしても届かない。
届かないということを前提として、どうすれば自分が好きなことの範囲内で、他人に届くカタチにできるか。
それが今のサカナクションにとっての音作りなのかも知れない。


思慮深い話し方で淡々と語るサカナクション山口一郎氏
ブログでは“一路”と称しているので、親しみと敬意をこめて“一路さん”
そう呼ばせていただきます。
サカナクションもこれから聞き込んでみよう。

今シーズン最終回だった。
また来シーズンも続いてほしいなぁ。
個人的に観たいのはGRAPEVINEや斉藤和義や山崎まさよしあたりかな。
スピッツなんか出たらすごいな。
週末の楽しみが減ってしまった。

PCで録画しているため、メモリーがたまっていくのだが、このシリーズだけは消せない…
DVD化を強く希望します。
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by yuzuruzuy | 2010-10-04 02:06 | 表現


つまらない、面倒くさいを、面白く。


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