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『くるい きちがい考』 なだいなだ

 まず目に飛び込んできたのが題名。クルッテイル、クルッテイナイについて考える事で、それらを生んでいる「常識」とは何か問い直そうという本。『信じることと、疑うことと』もそうだったけど、脱力系で皮肉屋な文章が良い。
ある人間をクルッテイルとするのは世の中の、いわゆる常識というものであり、その常識というものを問わねば、常識によるクルッタものに対する差別をなくすことは不可能である。ぼくは、そこで、クルイ、キチガイという言葉をつくった常識そのものを考えてみようと思ったのである。(あとがき)
 自分のものさしを持つ人間は、人は人、自分は自分と思う。その人間は、自分に直接被害がおよぶようなとき以外、他人の行動に寛容でいられる。
 反対に、平均的な枠の中に自分を押し込めた人間が持つのは、平均のものさし。平均のものさしを持ち続けるには、つねに他人のものさしに気をつかっていなければならない。だから、世間体というものを、気にする。彼らにとって、平均からはずれた人間は、自分のたよりにしているものさしを動かしてしまう危険がある人間。自分の土台をおびやかす存在に対して激しい敵意を向けることさえある。
 途中で精神分析の話が掘り下げられていくところはちょっと難しかったけど、精神科医と、素人のF君というふたりの対話形式で書かれていて読みやすい。ちょくちょく挿まれる正常、異常に関するエピソードも分かりやすくて面白い。常識っていうものをもっと疑わんとな。
 本当に本当の自分のなかに、常識とされている枠からはずれる部分があるのは当然だし、だれでもどこかで狂いかけている。そんな部分があるから人間は面白いと思います。結構共感できたな。

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by yuzuruzuy | 2010-07-24 21:45 | 読書

屋久島紀行 2010 四日目 ① 安房 自転車散策

8:00 起床
ふくらはぎに少しの筋肉痛
膝はもう大丈夫

9:30 
二年前屋久島を一周した自転車MARIN1号に乗る
ハンドルに小さなカミキリムシが陣取っていて
なかなか離れないのでちょっとだけ乗っけて走る
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安房港の高速船乗り場で
明日の7時発の船のチケットを購入する

10:00
武田産業でお土産探し
外は強い雨が降り出したので雨宿りさせてもらう
自転車で回ると話すと
お店のおばさんがおすすめの橋の場所を地図に描いてくれた

11:00
お土産を持っていちどアパートに帰り
雨が降り出したので
またまた雨宿り
『くるい きちがい考』を読みながらうたた寝

12:30
雨も上がり、再びMARIN1号
坂を上って、屋久杉自然館へ
縄文杉から落ちた巨大な枝が展示してあった
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他にも、屋久島の植物の生態についての説明や
屋久杉の伐採の歴史も書いてあって
山登りのあとだったので興味深かった
ニュージーランドにも縄文杉のようなふるい大樹があって
それと姉妹木(しまいぼく)になっているらしい
ニュージーランドもいいなぁ

14:10 自然館への道にあったTシャツのお店に立ち寄る
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東京でデザイン関係の仕事をしていて、一年半ほど前に移住してきたお兄さんがやっていた
前回僕が来てから少しあとなのだろう、前は無かった
そこで面白い民族楽器と、光にかざすと絵が浮き上がって来るポストカードを購入
しばらく話したり、楽器の演奏方法を教えてもらったりした
ポストカードをつくったお姉さんもやってきて話す
どうやらさっき坂道でその人が乗った原付とすれ違っていたらしい
数人でお店の近くに住んで、こうやって作品を並べて売っているようだ
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手作り感満点の、屋久島っぽいお店だった
ちょっとオマケしてもらえた

“また来てね”

“はい、是非”

“もうないかもしれないけど(笑)その楽器も消えてしまったりしてね。あれはなんだったんだ?って”

“はがきもまっ白になったりして(笑)”

この島には人をひきつける魔法のようなチカラがあって
みんな、自分のチカラと島のチカラを合わせて
自分なりの魔法の時間を作り出せる
それが解けたら、みんなまた他の場所へ移って
この空間も、無かったかのように消えてしまうのかもしれない

ここではそんな、自然に身をまかせて、受け入れるような暮らしができるんじゃないかな。

二年前の自転車一周で、空腹で倒れかけたときに立ち寄った
インドカレーのお店も、なくなってしまっていた
あの女店長さんは、また別の場所へ旅立ったのだろうか?
そこに、金儲けや資金難とか、倒産なんてコトバは使いたくないものだ
屋久島の魔法によるマボロシだった、そう思おう

お店を過ぎたところにあった粋な看板
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余裕のある呼びかけがいい感じ
思わずUターンしてもう一回行きたくなったけど、それは野暮だな


15:20 武田産業で地図を描いてもらった松峰大橋
約70m下に川が流れる、高い橋
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バンジージャンプができそう
この下をカヌーで漕いだら気持ち良さそうだな
二日目にボートを漕いだのはこの下流だったけど、さすがにあれじゃ
ここまで来れんわ

自転車で茶畑の横を通って
安房の町を横切り、海へと向かう

途中、じいじ家というお店でハンバーガーを食べる
その名も“とびうおバーガー”
これぞオーガニックバーガーといった味
父親の学校を舞台にしたドラマに出た時の岸本加代子のサインがあって、
「じいじ家は私の屋久島の実家です」と書いてあった
永作博美も来たんかなぁ・・・?
おまけでうまい棒をつけてくれた
何度も言うが、本当に何気ない心遣い、それがうれしい
都会じゃ忘れがちになるもののひとつだ

16:15 春田浜海水浴場
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激しい波から岩場に囲まれて守られている穏やかな海水浴場
水も透き通っていて、ここなら海にあまり行かない自分でも泳ぎたくなる
岩場の小さな入り江には、ネオンテトラのような小さな熱帯魚もいて
持ってかえって飼いたいほどキレイだった

日没はまだまだだけど、日も傾きはじめたので
アパートに戻る

最後に、島の反対側で太陽を見送るためだ
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by yuzuruzuy | 2010-07-21 23:59 | 屋久島

屋久島紀行 2010 四日目 ② 夕日 西部林道 栗生浜

アパートに戻り、汗を流して

父親が運転する車で島の西側に向かった

安房は島の東側なので、ちょうど反対側

途中、スーパーで弁当を買った

北側から回って、約1時間

日が沈み始めたので、車を道路脇に止めて

屋久島の夕日を眺めながら

弁当を食べた

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空と海の色が次々入れ替わって

どんどん近づいていく

水平線上の朝日と夕日、どちらも見える贅沢な島だ


そのあとは車で西部林道を走る

街灯のない真っ暗闇のなか

夜行性の鹿が道路わきにいて

ときどき道路に立っていて

あわてて逃げ出すのだけど

アスファルトで2,3歩滑って何度かはねそうになる

最後に悪い思い出を作らないで済んだ

生まれたばかりのような小鹿がとてもかわいくて癒される

そういや3日前に鹿の肉食べたんだった

ごめんなさい

すべてじゃないと思うけれど、はねられた鹿は

食用にされるらしい


西部林道を抜け

栗生浜に立ち寄ると

ちょうどウミガメの子どもが孵化しているのを

ボランティアの人が観光客に見せていた

親カメが埋めた卵を

柵の中に埋め直して保護している

人間が手を出すことには是非があると思うけど

手助けしなければ

生まれる前や、海に入るまでに

猫や狸、鳥にいのちを奪われてしまうらしい


土の中から次々に小さな子どものカメたちがでてくる

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生まれた子ガメを持たせてもらうと

足を元気にバタバタさせて

手を離すとそのまま飛んでしまいそう

そしてその場で海に放流

自分が海に送り出したカメは。生き残ってくれるだろうか?

生き残る確率は5000匹のうち1匹

一度は波で押し戻されながら

懸命に海に向かって進んでいく小さなカメの姿に感動する

危険な海に飛び込む子ガメを見習わなければ


まさか放流までできるとは思っておらず

とても貴重な体験だった
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by yuzuruzuy | 2010-07-21 23:59 | 屋久島

屋久島紀行 2010 三日目 宮之浦登山 ②花之江河~宮之浦岳

8:31 花之江河 出発

ここから岩場がかなり増えて
ロープを使ってよじ登るところもあった
そこまで多かった、木で作られた階段などよりも、進んでいく楽しさはある
今回宮之浦は4度目で、先導してくれていた父もかなりしんどそうだった
先行ってみるかと言われたが、僕のペースだと父をさらに疲れさせてしまいそうなのでやめといた

9:06 投石平(なげいしだいら)
周囲の山を見渡せる巨大な岩場
道が険しかったのでここでも休憩
父が持ってきた黒糖飴を舐める

さらに険しい道は続く
途中、5、6歳くらいの子どもを背負って歩いているおじさんもいた
すごいな、奥さんはいなかったけどきっとかなりの登山家ファミリーだ

花之江河をすぎてからは、高山地帯で風も強く
大きな杉の木は白骨樹となって
ところどころ角のようにまっ直ぐ飛び出していた
緑の中から飛び出すまっ白な幹は、墓標のようにも見えた
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このあたりの景色は
もののけ姫のラストシーンで出てきた高原を思い起こさせる
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10:17 モアイ像のような岩発見
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豆腐岩もそうだけどこれぞ自然の造形芸術
こちらからみて顔の左部分にも岩があったらしいのだが
いつの間にか落ちてしまっていたという
自然のアートは自然に身をまかせて、変わり続けるのだな
手の上に乗せたような写真を撮ったりして遊んだ

10:37  栗生岳(くりおだけ)
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栗生岳、宮之浦岳、永田岳
この屋久島を代表する三つの岳が
父が大好きな焼酎、三岳(みたけ)の由来となっているようだ
そこに立つ岩の隙間にできた空間には、祠があり
“岳参り”という山参りが行われるという

宮之浦岳はもう目の前
今にもバテそうな父が、先に行けといって
僕がお先に九州最高峰へ

10:53 宮之浦岳 頂上 到着
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360度緑と青と白
空と海の境目もはっきりせずに
船が通った軌跡が、白く残って飛行機雲のよう
高さによって緑の濃さも違う
もののけ姫に出てくるオオカミになって遠吠えするか
起きもしない戦の始まりを告げるために
法螺貝を吹き鳴らしたい気分
ブブゼラでも持ってくれば良かった

九州一の山頂で
美味しい弁当を食べた
ここにも祠があった
頂上でいちばん高い岩の部分でパシャリ

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ちなみに、縄文杉もそうだけど、ここには携帯の電波が通ってる
みんなこの景色をだれかに送りたいんじゃろうね
富士山とかもそうなのだろうか?


11:50 下山開始
帰りは僕が先導する
風に乗って雲がどんどん流れてきて
周囲は霧に包まれてしまった
これでは周りの景色は期待できない
でも行きでしっかり楽しめてよかった

霧が出たら出たで、また違った神秘的な雰囲気が楽しめた
青と緑の世界から、まっ白な世界へ

帰り道、水場でペットボトルに水を補給
これで三岳を水割りにするのが父の楽しみらしい

14:06 花之江河もこの通り
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だんだん膝が痛くなってくる
くだりは衝撃が強く
岩場で酷使した左ひざが痛んできた
雨が降ってきたので体も冷える
父も後ろで苦しそう
登山口まであと何kmという表示をみるたび、まだか…という気分

16:15 淀川登山口到着
ようやく帰ってきた
のぼり以上にくだりが大変だった


アパートに戻って、すぐ支度をして
前回もいった地元の尾之間(おのあいだ)温泉へ
いかにも身体に効きそうなヌルヌルの熱い風呂にパッと浸かって良い気持ち
しかし日焼けした肌がヒリヒリ…
かえって鏡を見たら親子そろって酔っ払いのように顔が真っ赤だった


父が常連の店で晩飯
お酒を呑むときは毎回電話して
店のお父さんがアパートで車で迎えに来てくれるそうだ
豚カツとビールが最高に美味かった
お店のお母さんもいろいろサービスで小皿料理を出してくれたり
地方ならではの心遣いを、損得や効率性でなくしてしまう、都会の寂しさよ…
島のお店で触れる優しさから、そんなことをしみじみ思う

またご主人に送ってもらって帰ったらもちろん即、気持ち良いまま、ぶっ倒れた
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by yuzuruzuy | 2010-07-20 23:59 | 屋久島

屋久島紀行 2010 三日目 宮之浦登山 ① 淀川登山口~花之江河

【宮之浦岳 登山】

4:30 起床
昔の人がいろいろ出てくる長い夢を見たような、
自分がいる場所がよくわからない気分で目覚める

5:00 車で登山口へ向かう
縄文杉へ向かう荒川登山口よりさらに島の奥の、高い位置まで

6:00 淀川登山口 出発
天気も悪くないようだ
連休明けのせいなのか、縄文杉に比べマイナーな登山道だからなのか
登山客の車は2、3台
僕らを含めスタート地点には二組だけだった

6:40 淀川小屋
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朝食に持ってきたパンを食べる
トイレに行った
登山客の排泄物が屋久島の森へ及ぼす影響は深刻
携帯トイレを持ち運ぶことが勧められている
水洗は森を汚すため、汲み取って持ち出すらしい
森の澄んだ空気の中で嗅ぐ排泄物の臭いは
ただただ鼻にツーンとくる
森の香りなんていうトイレやお部屋の消臭用品があるけど
現実では森の香りを、反対に人間たちが消臭してしまっているんじゃないか
そんなこと言いながらもガマンはできないので用(小)をたす僕であった

6:50 淀川歩道橋
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朝日が生み出す緑のコントラストがとてもキレイ

7:10 淀川登山口から2.0km 宮之浦岳まで6.0km

7:26 第1ヤクシカ発見 今回初の鹿との対面
こんな森深くにいると、人間に会うこともほとんどないのか、
親子で何度もこちらを振り向きながら山道を歩いていた

7:47 とある展望スペースで
この登山中にどうしても見たかったのは
このアルパカみたいな木の幹
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…ではなくって、コレだ
ワン・ツー・スリー (某ランキング番組風)
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それまでかかっていた霧が一気に晴れて姿を現したのが
高盤岳と呼ばれる山の頂上にドーンと乗っかった大岩
通称“豆腐岩”
大きさが分かりづらいと思うのでもう一枚
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この割れた岩のひとつが転げ落ちたら昔話のおむすびころりんみたいだな
そんな事を思い浮かべた
でもホントにこんなものがなんで頂上にあるんだ?
流行に乗っかった言い方をすれば屋久島は島そのものがパワースポット
不思議なチカラに溢れてる

8:09 小花之江河(こはなのえご)
尾瀬のような高山湿地帯で
近くの花之江河の縮小版
日本庭園のよう
天気が良いので背景に高盤岳が見えた
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8:22 花之江河
宮之浦岳まで3.8km
ちょうど半分すぎたくらい
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ここでしばし休憩
クマバチみたいなのがストーカーみたいにブンブンついてくるので
上着を黒から白にする

しっかし、天気が良かった!


ここから高山地帯の岩場、険しい道へと続く
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by yuzuruzuy | 2010-07-20 23:08 | 屋久島

屋久島紀行 2010 二日目

島ならではのゆっくりとした一日

やったことといえば

父がインターネットで5000円で買った、空気式のゴムボートで

近くの川でプチカヌー気分を味わったこと

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値段どおりの不安定さ

しかし慣れるとオールを使って思い通りに漕ぐことができた                               

カナダでルームメイトにやらせてもらったセーリングを思い出す

水の流れだけでなく、風を感じる心地よさ

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しかし、同じ川を下ってくる本物のカヌーとは違いが歴然

向こうが自転車ならばこちらは三輪車

学校のプール二つ分くらいのスペースで楽しむのがちょうどいいくらい

終いにはオールの片方が取れてしまい、流れていくオールの先を

残った片方だけでなんとか捕まえようと追ったけど間に合わず

一寸法師のように片方だけのオールで岸に戻った

父はまだ少し物足りないようだった

雨が降り出したので、ボートをたたんで帰る


それから、海を見渡すJRホテルの温泉であったまる

温泉があるのもいいなぁ

リラックスできる要素がナンボでもある


スーパーで晩飯を買って

あしたの早朝からの登山に向けて就寝

またしても電気をつけたまま

畳と、雨のあとの涼しい夜風と外の虫の声が

気持ちよすぎるのであります
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by yuzuruzuy | 2010-07-19 23:59 | 屋久島

屋久島紀行 2010 一日目

屋久島到着後、父親の車に乗る

そばを食べて、車で父の勤務先の屋久島おおぞら高校へ

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こういうところです

空から見下ろすと羽ばたく鳥の形をしていて

その頭が指すのは大宰府天満宮の方角らしい


そこから、近くの平内海中温泉

名前のとおり、海中にある温泉

入らなかったけど、夜に星を見ながら浸かったらサイコーだな

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その後、大川(おおこ)の滝へ

毎回訪れるのでこれで3度目

何度行っても、 THE マイナスイオン。

水しぶきが霧のように迫ってきて

少しいるだけでスッキリする

屋久島のなかでもかなり好きな場所だな

梅雨でたまった水が流れて、今まででいちばん幅広い流れだった

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そこからアパートへ向かう途中

あのおじさんの家に再会

玄関前のスロープは、前は無かったと思う

もう完成して、若干古びた雰囲気を醸しだしていた

おじさんはどうやら不在のようだ

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別荘として使ってるのかなぁ?

ワタミの社長の別荘もあった

こんなところに別荘、ちいさくていいからほしいなぁ


父のアパートに着いて

畳の上でねっころがったら、あまりにも気持ちよくて寝てしまう


夜は、父親の仕事先の人と焼肉

少し堅苦しかったけど、お酒を呑みながら鹿の肉を食べた

おじさん相手にお酒を注ぐ作法は、何度やってもメンドーだ


そのあと夏祭り

花火を見た

二年前に会った父の職場の先生たちに会った

みんな生き生きしてみえた

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父はベロベロ

他の先生が送ってくれるというのを“大丈夫”と断り

歩いてアパートへ向かっていく途中

寿司屋に寄る

握ってくれた若い職人さんに

「美味い!これは本物じゃ!大将より美味いよ!」

などとまったく真実味にかける褒め殺しで

横のぼくも若干意識がモウロウとしながら

「すいません、酔っ払ってて。でもおいしいっす。」

とフォローするしかない

父と飲むときはこれだから気が抜けない

結局タクシーで帰った

部屋にでっかいカミキリムシがいた

さすが屋久島

気が抜けて、前日も睡眠は3時間くらいだったので

電気をつけたままぶっ倒れた
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by yuzuruzuy | 2010-07-18 23:59 | 屋久島

『プチ哲学』佐藤雅彦

 広告に興味を持ち始めてから良く見かける名前。あの、だんご3兄弟の企画、作詞、プロデュースをした人。だんご3兄弟のような子どもっぽくてやさしいイラストで、“考えることって、たのしいかも”と気づかせてくれる。
 家や喫茶店でお茶でも飲みながら、のんびり読んで、外にでたときには、景色がちょっと変わって見えるとおもいます。
 なかでも、乱暴者のカエルくんがもう一匹のカエルくんを川にドシンッと突き落とそうとしているようなイラストがあって、その次のページでは、それを遠くの視点から描いていて、上からおおきなりんごが落ちてきていたというのがありました。同じ行為でも、見る枠組みを変えると逆の意味さえ持ってしまう。だれでも自分の枠組みを持っていて、そこから物事を見ていることを、人びとは日々のくらしや、いざ問題にぶち当たってしまったときに忘れてしまいがち。より大きな枠組みで物事を見て判断できるようになりたい自分には、ココロに留めておきたいイラストです。
 一見難しく考えてしまうことを、「気楽に、一緒にもうちょっとだけ考えてみようよ。」そんな声が聞こえてくるような絵と文章。文字が少ないから、自然と自分で考えられる。難しいことを、簡単に。些細なことに、楽しみを。そのお手本です。
 考えよう、考えようと意識しすぎず、楽しみながら、考えて発見することの喜びを味わいながら、世の中を眺めていきたいものですな。


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by yuzuruzuy | 2010-07-15 23:23 | 読書

演じるって、何だ?

爆問学問 
爆笑問題×野田秀樹 第一幕

人は、自意識を持っている限りは演じている


演じることは誰でもできる
それを仕事にしているのが役者
見てもらって良いものに高めなければならない
そこが問題
(by 野田秀樹)

コトバで表されるものを自分なりに解釈して
カラダ全体でヒョウゲンすること

ただ台詞を声に出すだけではない
台詞に身体性を出さなくてはウソになる
コトバの量を凌駕した、カラダから放たれるエネルギー
それを前にすれば、口から出てくるコトバさえ明確な意味を失くして、
訳わかんないんだけど伝わる情報が受け手に向かって洪水のように迫ってくる
コトバを凌駕するだけでなく、カラダを通して表現に説得力を増す

コトバとカラダって言う意味では、声っていうか、口から出る音っていうのはコトバよりのものだと思ってるじゃないですか。…コトバだから。でも、出てくる音っていうのは“肉体”なんですよね。単純なことを言うと、大きい声を出すためには、腹筋なり背筋なりの身体がしっかりしていないといけないし、そうなってくると、じゃあそこに乗っかってるコトバというのは、身体とコトバって切り離してるけれども、実はカラダの延長上にあると考えてもいいかもしれないってことですよね。コトバって。


コトバもカラダである。

コトバで自分のカラダを表現する。
カラダで自分のコトバを表現する。
コトバはカラダなのだ。
コトバを伝えるために、カラダを解放させよ。


生きることは、演じることだとここ数年つくづく思います。
それを仕事としている役者に、自分がなりたいというわけじゃなく、
生きる上での方法のひとつとして、自分を表現する手本として、すごく興味があります。
森山未來は、カフカの『変身』という文字でつくられた世界をまさにカラダ全体で表現していて、
ほぼ初めての演劇だったけど、コトバを超えた次元でぐいぐい引き込まれた自分がいました。


海外で英語を話していて感じたのは、コトバのチカラの弱さ。
どんなに上手い文法を使っても、
顔の表情や、身振り手振りに勝るものはない気もした。
それは自分の話す英語の稚拙さへの言い訳でもあるかもしれないけど、
いちばん相手に感情が伝わったと思えたのは、
笑顔だったり、酔っ払った時などの訳の分からない踊りだったりした
それは自分の中から湧いてでた感情を、カラダで表現すること、まさしく演技だったと思います。


次週は、演技についての深い話が聞けそう。
観ていて、自分もカラダを動かしたくなってくるような
ココロ揺さぶられる放送でした。

今回のロケ地は野田秀樹が教授を勤めている多摩美術大学。
前の記事で書いたSong Writers講演の立教大もそうだし、今更ながら首都圏の大学がうらやましいなぁ。
関西だって負けてたまるか!
そんな気持ちでいろいろ吸収しなければな。
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by yuzuruzuy | 2010-07-14 05:42 | 表現

THE SONGWRITERS 佐野元春×桜井和寿

感じたこと、考えたことを、忘れないために(長いです)
何度も客観的に読み直し、書き変えつつ、
できるだけ読みやすくしたつもり。


まさに≪永久保存版≫

こんな講演があるなんて、立教大学がうらやましすぎる。
そしてNHK教育、ナイスです。

佐野元春が著名なソングライターを招いての講演
相手はなんとMr.Children 桜井和寿でした。
これほど録画してよかったと思える番組はなかなかないと思います。
響いたコトバを切り取りながら、自分の感じたことも交えて書き残します。


【感想・考察】

桜井:いつも心がけてるのは、その…世の中に溢れてる常套句とか、あの…テーゼとか既成概念の……裏にある、それもまたひとつの、真実だって言うことを自分がコトバで発見できたときが…

佐野:ぁぁー…あぁ…(うなずきながら)

桜井:あの…すごいうれしいとき、で…。まぁその瞬間をいつも待ってる…はい。

佐野:なるほど。詩人として、自分の、他の人が言ってる真実じゃなく、自分にとっての真実を発見できたとき…

桜井:そうですね、はい。

佐野:うれしいってコトだよね。よくわかります。


このやりとり…シビれた。

“愛はきっと奪うでも、与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの” 『名もなき詩』

「愛は与えるもの」「奪うことはいけない」
よく言うけど果たしてホントウにそうなの?
実はどっちでもないんじゃないか

そんな疑問から生まれた名言だった。



無意識レベルで作られた歌詞のひとつひとつのコトバ、それらを選んだ意図や
日々の生活、創作活動で考えている事柄を
ミスチル桜井がじっくりとコトバを選びながら語り
佐野元春が的確に受け止めて、わかりやすく短いコトバで
桜井のコトバもうまく借りながら説明してくれる。
“あぁぁ…” “確かにそうかもしれない” “ありがとう” “なるほどね”
独特のトーンで発せられる相づちが絶妙。

桜井氏が生む楽曲は、まず曲があって、それをコトバにならない感情を乗せた「ラララ」だったり適当な英語にして叫んで、そこにこもった怒りややさしさから、詩がイメージされるらしい。
なるほど。音楽の強さはそこなんじゃろうな。コトバだけでは伝わりにくい感情の部分。
そこから生み出すことで聴く人のココロにダイレクトに伝わってくる。
佐野元春は過去に、僕がいま通ってる講座を受けてたらしい。
コトバの限界を知っているからこそ、音の可能性を求めつづける世界を選んで
そのうえでコトバをどう生かすか?ということを追求しているのかもしれない。
佐野元春の音楽はほとんど聴いたことないのでよくわからんけど…(ゴメン)。


桜井:できるだけ、自分の無意識が作り出したものを、大事にしたい

歌詞を作ろう、作ろうと考えてるアタマじゃなくって、考えてないときに突然ふっと現れて来るような自分のココロの奥に潜んでいる部分を表現しようとしているから、そのコトバは、誰のココロにも染み込んでいける。
僕が好きな歌たちの、ココロに響いた歌詞が生まれたエピソード。
それらが実はトイレで生まれてたりする(笑)

Q:好きな言葉は?
「今日という日は、残された人生の最初の一日」

Q:嫌いな言葉は?
「難しい問題だよね」

前者は調べたところ、英語の格言みたいだけど
どちらもまるで自分のコトバかのような選びかたで身近に感じられて
“HOME”や“SUPERMARKET FANTASY”などの日常を題材にした
最近の、より身近な存在としてのミスチルの作品とリンクしてるように思えた。
僕も、好きな言葉を問われたら、こんな風になるべく自分のコトバのように答えたいと思った。

Q:女性からいわれて嬉しいコトバは?
「かわいい」(笑)
そう言ったあと「すいません」と謝りながら見せた笑顔は、
確かにかわいい(笑)



なんと歌詞のネタ帳も公開。これは鳥肌モノ。
その無地のノートの中は、衝動的な感情の殴り書き。
桜井:ものすごくその、コトバを考えるときに…、えーとぉ…、モヤモヤっていうものをすごく大事にしている…んです。だから、…そのモヤモヤが、う゛ぅーっていう感情であれば、強く書くし、おっきく書くし、みたいな。
コンピューターで打つ前は…、できるだけ、こうやって、字で書きたいとは思っていて…あの、間違っててもアイディアを残しておける。あの…パソコンとかだと、訂正したやつは、消えてなくなっちゃうんだけど、あの…残しておいたものが、のちのちすごく大事な役割をすることがあったりするので…。ん、あとはやっぱりその…自分のこの感情の、…モヤモヤだったりグァー!っていうものを、文字ごと、気分ごと、メモしておけるのが、はい、…ですね。


うん、手書きの良さはそこにある。
そのときの気分が、文字になってあらわれるし。
字には書いた人の人柄が出るってのもよくいわれるよなぁ。

こうしてブログを書いてても、一瞬ココロに現れた、実は正直な気持ちを
やっぱ違うと思ったら一瞬で簡単に消せるし、
逆に、PCのトラブルで一瞬にして消えてしまうこともある。
こんな長文を書いてるときなどまさに、いつ自分の手元が狂ってバックスペースを押してしまって
前のページに戻って全文消えてしまうかもしれない。そんな余計な恐れも生まれる。
だから何回かに分けて先に保存しておきます。

感情があまりにもフラットになりすぎるのは、ケータイでメールしていても身にしみる。
もっと紙に書こう。

僕は自分の直感や、感情を書くのは、無地ノートだと決めてる。
だから桜井氏のノートが無地だったのには、ピンポイントで感動した。
まぁ、だからって桜井センセイのようなコトバが書けるわけがないけれど。
字の大きさや、書く向き、余白の広さとかに“書いたときの自分”が出るという意味では
共感できる部分があるのかもしれない。だからちょっと嬉しかったのです。


桜井:歌詞を書くときでも、無意識に誰かがやる動作みたいなものに、すごく意味を持たせて、表現することが多いですね。

人と話してるときの、ふと視線を外したり、首をストレッチしたりする動作
無意識でやってる本人は気づいてなくても、きっと退屈してるんだろうな。
そんなしぐさの裏の感情を敏感に読みとる。確かに“何気ないしぐさ”みたいなニュアンスの表現が歌詞によく出てくるような気がする。
ここでも無意識がキーワード…他人の微妙な感情の動きまでもつかんで歌詞にする。
それで第三者である聴き手に「それ私が思ってたこと」なんだって、ドストライクで共感を呼べるとは…
すごい人間観察眼じゃ。


桜井:僕は人間が、ある一面だけであるはずがないと思っているし、愛してるからこそ、やさしくもできるだろうけど、愛し…が、あるからこそ、人を殺すこともできると思うんですよ。

人間のココロは、ある一面だけを、取っては語れないと思ってるし、その両方あるから、奥深いとも思うし、えーとぉ、『タガタメ』っていう、歌詞でも“子どもらを 被害者にも加害者にもせずに”っていう発想は、あのー、………もちろん、まぁ自分にも子どもがいるからその子どもが被害者にもなってほしくないけれど、でも、逆にその…、こいつは誰かを殺す可能性もあるかもしれない、っていうことを、それは人間だからどんな可能性もありえるって僕は思っていて(何度もうなずきながら)、…そのなんか……奥深さが、あの、すごく愛しいとおもう。“愛しいとおもう自分”でありたいなと思うんです。


何度もうなずきながらまるで自分自身に言い聞かすように語った。
高校時代はそんなこと考えずに聴いてたけど、今の僕ならわかる。
そんな見方を教えてくれたのが『掌』の歌詞だと思う。
今回は出てこなかったけど
この曲の歌詞に込められた思いについても聞いてみたいなぁ
ひとつにならなくていいよ 価値観も理念も宗教もさ
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができるから それで素晴らしい

いろんな人がいるように、いろんな自分だって認めりゃいいんだ
ひとつの価値観に縛られてきた自分がいるかもしれない
“こうであるべき自分”に、縛られないで、そのときの自分も本当の自分なんだと認められるようになるきっかけを与えてくれた曲。本当に本当の自分に気づいた、(正確には気づこうとし始めた)ときから、周りに対する見方も変わった。

こんな風に書くと、大げさに見えるな…(苦笑)
ミスチルで人生変わりました!みたいな、そんなわけではないのだ。
この歌詞はあくまできっかけで、考えて答えを出したのは自分自身だと言っておきたい。
もともと自分のココロの中にあった部分へと、このコトバがナビしてくれたような。
それでも、きっかけとなれるコトバだという時点で、充分以上に、すごいことなんだけどね。


<ミュージシャンとしての影響力と無関係でありたいと思う>
桜井:たぶん僕は…、その、人を思いやる…ために、第三者のために、音楽を作っているのでは…ないと思ってるんです。ただ、当然、人が誰しも抱えている、えー……問題、それを、えー……共有することで、なんか救われたり、励まされたりすることはあるだろうなと思って、だから…誰かを励ますんじゃなくて自分自身を解放してやる。それが、結果、えー、…だれかとつながり、んー、…何かプラスに作用するんじゃないかっていう、んー感じで…います。


このコトバを最後に聞けてよかったな。
まぁ、影響を与えたいなんて思ってたら独裁者かカルトの教祖にもなってしまいそうだけど。
「自分のため」と言い切るんじゃなく、遠まわしな言い方が上手い、というより、やさしい。
この、「共有する」というスタンスが、ミスチルを聴く現代人にニュアンスで伝わるから、多くの人を掴んで離さないんじゃないかな。
“ミスチルは私のために歌ってくれるんだ”なんて大きな勘違い。
高校時代のサッカー部の先輩に言わせれば、「お前カンチか?!」。
でも、そう感じさせる、人を“カンチ”にしてしまうチカラが、伝えるためには必要なのかもしれない。



【まとめ】

読みにくいとは思ったけど、桜井氏が思考をコトバにするまでの葛藤がわかるように
話の内容と間の取り方を自分なりに文字にした。
こうして文字を打ち込む作業のなかで、文字だけのチカラのなさを痛感した。
コトバにはやっぱり音が必要なのだと
音こそホンモノにいちばん近い感情を伝えられるのだと
この講演の映像、そしてこの感想を書く過程で思い知らされた。
逆に考えると、文字だけでその人のココロに突き刺さって
読む人のココロの声に乗って響くコトバを生み出すことを目指さなければ。
くやしいけど自分はまだまだなので、最低でも自分が分かりやすいように書いた。
自分が消化するのが精一杯で、読んでもらえる文章を書く余裕がまだない。
ほんとは、自分だけじゃなくて、読む人と共有できるコトバで書きたい。
ここまで長かったら、自分でも読み返す気をなくしてしまいそう。
ちょっと自虐的すぎるな。反省終了!

とにかく、あぁ、この人はコトバを大事にしているのだなということが
身にしみて伝わってくる映像だったということが言いたかったのです。
ここまでひとつひとつの言葉を、巻き戻しながら見た番組はおそらく初めてだ。
あとは、M-1のブラマヨのネタくらいかな(笑)



感想のつもりが、実に長々と書いてしまったなぁ。
見直してコトバを噛み締めて、結果的に5時間くらいかかった(笑)
新書2冊読めたかも。でもそのくらいの価値はありました。
それだけ残しておきたいコトバに溢れる講演でした。
こんなにミスチルが好きだったのか?と自分でも驚いています。

僕がミスチルを聴くときは、自分自身について考えるとき。
ミスチルだけじゃなくて、好きな音楽は全部そうなのかもしれない。
今の自分と、ココロの奥の自分をつなぐ、橋渡しとなってくれるコトバが
どこかにあって、それは、毎回違う曲。
そんな歌詞を持った新しい曲に、もっともっと出会いたい。


それにしても、佐野元春の話の引き出し方とか、雰囲気作りもすごかったな。
今週はアジカンの人らしいから、またチェックしてみよう。
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by yuzuruzuy | 2010-07-13 10:14 | 表現


つまらない、面倒くさいを、面白く。


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