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『城』 フランツ・カフカ

 カフカの未完の長編。分量もあるしインフルエンザをはさんで読むのに結構時間がかかった。ある城に測量士としてやってきたKに、その仕事は用意されておらず、確かめようと城に問い合わせようとするも、職業のないKを城の使者や村の人々はよそ者として扱う。どんな行動を起こしても何も分からないし、城に近寄ることもできない。読んでいても何も分からず、Kの行動だけがむなしく繰り返されていく。Kの行動もいつしか目的が失われているように思えてくる。その姿は自分の存在を失った完全な“異邦人”。ぼくもインフルエンザで一時的に世間から隔絶された“異邦人”。そんな気分でじっくりと不思議なカフカ的感覚にはまり込んで読んだ。
 城や村の人々は何かしら職業を持っていて、楽しくもないが与えられた仕事をやって暮らしている。Kは“測量士さん”と呼ばれながらも、その仕事はない。自分の全く知らないシステムの中で、訳も分からず、ただそこに置かれている状態の人間。カフカ作品特有の世界観。カフカも彼の置かれた社会の中で、このような感覚を味わっていたのかなと思った。最後まで書いて欲しかったな。きっとはっきりとした結論が出ることはないのだろうけど。


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by yuzuruzuy | 2010-01-31 22:29 | 読書

『地下室の手記』 ドストエフスキー

 「ぼくは病んだ人間だ・・・・ぼくは意地の悪い人間だ」。この記述から始まる自意識過剰で空想的な、自分自身についての手記。内心に地下室を抱えた男はそこを“自分の片隅”と呼び、≪美にして崇高なるもの≫への逃避として空想の中に暮らす。
 第一部では、完全に空想の世界に籠城している男が、空想上での話相手を≪諸君≫と呼び自虐的に語りかける。自己嫌悪さえ快楽になってしまっている。そこには行動がなく、何もしない人間と自分で呼びながら、誰よりも賢いのだという優越感に浸って繰り返される自問自答。過度に自意識が発達し、自分の世界に引きこもってしまいがちな現代人に対する予言。
 第二部は、引きこもる以前、24歳だった男が孤独ながら社会と関わっていたころの物語。三ヶ月ぶっ通しで空想し続けた結果、男は社会へ飛び込みたい欲求に駆られる。しかし、空想の世界で生きすぎた男は社会とうまくやっていけるはずもなかった。
p.203
安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?
男は自分の意志を満たしてはくれない前者を捨て、恣欲に従い後者を極めようとした。
p.205
ぼくらは、人間であることをさえわずらわしく思っている。ほんものの、自分固有の肉体と血をもった人間であることをさえだ。それを恥ずかしく思い、それを恥辱だと考えて、何やらこれまで存在したことのない人間一般とやらになり変わろうとねらっている始末だ。
ドストエフスキー版、人間失格。ドストエフスキー作品の転換期に書かれたらしいので、どんな変化があったのか他の作品を読んでみよう。


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by yuzuruzuy | 2010-01-22 14:53 | 読書

『信じることと、疑うことと』 なだいなだ

 本屋で背表紙買い。ちょっとひねくれた文章が結構好きになった。
 簡単に分かったつもりになってしまう時代だ。本当に分かったとはどういうことだろう。
 自分で信じておいて、嘘だと気づいてから、騙されたと騒ぎたてる。嘘つきを批難することしかしない人間が多いと思う。皆でいっせいに嘘つき呼ばわりして、自分がなぜ騙されたのか考えようとしない。騙された自分にも責任を求めて、二度と騙されるものかと決意しないのか。今まで考えてきたことと重なった。
 信じていた友人Cに裏切られた、AとBがいたとする。Aは、絶望して、ふさぎ込み、人を信じることができなくなった。Bは、騙された自分を冷静に観て、騙したCに負けてたまるかと立ち上がる。今の僕は、Bのように立ち上がろうと思う。
 このエッセイは80年代半ばに書かれたものらしいけれど、TVや新聞のやっていることや、騙される人間の変わらなさに愕然とする。今もって全く同じことが言えるのだ。
 騙されているかも知れないということを常に自分自身で疑ってかからないと、嘘に嘘が重なって、本質がどんどん見えなくなっていく。この国のは嘘だらけになってしまいそう、いや既になっているかもしれない。
 人は分かることよりも、分かったと思いたいから、嘘でも信じてしまう、それで安心する。嘘つきがいっぱいな現実の社会。信じることには責任が伴うってことを忘れずに。


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by yuzuruzuy | 2010-01-21 18:20 | 読書

パコと魔法の絵本

クセのある人たちばかりが集まる病院で繰り広げられる
記憶が一日しか保てない少女パコと
他人を見下し、一人で成功してきた傲慢な老人オーヌキと
一冊の絵本の物語

CG+舞台のような新しい感覚
暴走するCGについていけなくなりそうだけど
無理やり引っ張られて魔法の世界から抜け出せなかった

“ガマの王子はワガママ王子!”
毎日毎日最初から読み始めるパコの純粋さに涙が・・・・
普段にまして空想的な最近の自分は、ちょっと入り込みすぎたかも知れない
子供向けファンタジーと見せかけて本当は大人に向けた物語

子供のときの、絵本のページをめくりながら
ワクワクするようなあの感覚に戻れた気がする
想像力を掻き立てる映画だった

何気なく観たけど予想以上に良くてびっくり



パコと魔法の絵本 通常版 [DVD]

アミューズソフトエンタテインメント


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by yuzuruzuy | 2010-01-20 23:28 | 映画

『ジーキル博士とハイド氏』 スティーヴンソン

 狂気シリーズ、今度はイギリス文学。高校時代の読書感想文のために買ってずっと読まずにいた一冊。こんなにすんなり読めるものだったのかというのが正直な感想。
 二重人格モノといってもドストエフスキーほど内心のもがきを執拗に書くのではなく、事件的なストーリーや、手記を読むのような書き方など、推理小説の要素が入っているのがいかにもイギリスだなと思った。「あいつが“Mr.Hyde(hide)”なら、おれは“Mr.Seek”になってやる」(p.21, l.13)なんてジョークも英語圏ならではで気に入った。
 科学の力で人間の二元性を証明しようとしたジーキル博士は、解放された悪の姿ハイド氏とともに破滅へ向かってしまう。二重人格という言葉で簡単に片付くものじゃない。誰の中にも善と悪だけではまとめきれない様々な性格がありその間で揺れ動いている。良い人だと思われていたが突然殺人を犯すと、「あの人が何故?」なんて場面がニュースで流れることがあるけど、そんな人はこの本を読みなさいといいたい。
わたしはあえて推論する、人間とは究極のところ、ひとりひとりが多種多様のたがいに調和しがたい個々独立の住民の集団のごときものに過ぎないものとして把握されるだろう、と。
p.91, l.15~


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by yuzuruzuy | 2010-01-19 15:16 | 読書

『異邦人』 カミュ

 主人公ムルソーは、親の葬儀で悲しみを見せず、次の日から休みをとって海で泳ぎ、女と付き合い始め、映画を観て、連んでいた仲間の女関係に巻き込まれ殺人を犯す。
 自分ではその瞬間感じたまま正しく振舞っているのにも関わらず、起きてしまった過去や、自分の行動で未来を変えることに無関心なあまり、常識では理解されないムルソーに裁判所は死刑を宣告する。自分はまともに生きてるつもりなのに周りから誤解される。むしろ他人に理解されることなどあり得ないし、望んでもいない。そんなスタンスの主人公に、まともな人間なら少しは共感するんじゃないか。
 殺人の動機が「太陽のせい」なんて、意味不明。でも意味不明なところに、僕は人間性を感じる。なので、何故「太陽のせい」なのか、分かるまで読みたい。
 死刑を前に神の道へ進ませようとする司祭と、それを拒むムルソーの論争、そして最後に全てが爆発したような、ムルソーの叫びに、震えた (部屋も寒い)。

p.124 l.13~
・・・・・・君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。・・・・・・・


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by yuzuruzuy | 2010-01-15 17:26 | 読書

『二重人格』 ドストエフスキー

 ロシア文学の流れで巨匠ドストエフスキー。第二作目らしく、あとがきで解説されている通り、ゴーゴリの影響がすごく感じられる。個人的には読みながら、映画『ファイトクラブ』を思い出した。人間の心の中の相克、現実と非現実の交錯。
 引っ込み思案な小役人の心の中の理想と現実の相克が生み出した、もう一人の自分という幻覚が主人公を破滅へと導いてゆく。理想の自分である反面、現実の自分にとっては厄介な敵。それが自分自身であるということに気づかない主人公は、周囲の誰かが仕掛けた策略から逃れようと我を忘れてもがく。
 主人公の幻覚を周囲の人も共有しているような書き方がされていたが、結局全てが主人公の妄想なのだろうか?主人公の視点に立てば、狂っているのは周りの人々とも受け取れる。現実と非現実の境界線があいまいで、自分の中で整理できない。むしろそんな理性で解決できない恐ろしさを感じるべき作品なのかも知れない。ちょうど前にゴーゴリを読んでいたので、外套をなくした男の狂った様や。狂人日記の妄想の要素が多く重なって感じられた。
 ロシア文学に出てくる人物たちは、極度に情緒不安定。さっきまで嫌いといってたのが突然好きになったり、突然爆発したように饒舌に喋りだしたり、読んでいてなかなか根気が必要。でもそれは現代人の誰もが抱える矛盾する感情をよく表しているのかもしれない。面倒臭いけど、何故だか付き合ってしまう。しかし、どれだけ読んでも名前を覚えるのには苦労しそうだ。


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by yuzuruzuy | 2010-01-12 23:10 | 読書

『外套・鼻』 ゴーゴリ

『外套』
 貧しい下級官吏が、寒さのため外套を新調しなくてはならなくなり、そこから運命が変わってしまう。コートをテーマに書くところがロシアならでは。

『鼻』
鼻がひとりで歩き出すという発想がクレイジー。考え付かない状況に読者を引き込んで振り回してくれる。現実とは思えなくても、こんなことあるわけないと思っても、
 ・・・・稀にではあるが、あることはあり得るのである。(最後の一文)

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by yuzuruzuy | 2010-01-10 18:19 | 読書

『狂人日記』 ゴーゴリ

 ネフスキイ大通り、肖像画、狂人日記の三篇。

『ネフスキイ大通り』
 それぞれ別の美人の後ろをついて行った画家青年と中尉。二人の恋とそれぞれの結末の物語。画家青年は妄想的で狂気的結末。中尉は現実的であっけない結末。その対比が面白かった。

『肖像画』
 一枚の奇妙な肖像画を手に入れた画家の転落と、その絵画の起源に関する物語の二部構成。貧しい画家が市場で手に入れた奇妙な目を持つ肖像画。その絵によって人生が180度変わり、画家は金に溺れてしまい、才能を無駄にしてしまう。肖像画の男の顔が思い浮かんできそうになった。

『狂人日記』
 叶わぬ恋と思い通りにいかない現実に、小役人の男は狂ってしまったのか。現実の反動から男の日記は饒舌さを増して、犬が言葉を話し始め、自分自身をスペイン国王だと信じ始める。最後のほうでは日付“日三四月年、・・・・”などとデタラメ。ものすごい妄想日記。

 ゴーゴリは初めて読んだ。夢から醒めても醒めても醒めていないかのような書き方で、どんどん狂った世界に連れこまれそう。狂気の中に笑いもあって、結構好きな世界観だ。


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by yuzuruzuy | 2010-01-08 20:27 | 読書

THIS IS IT

今まで知らなかったマイケル・ジャクソンを観た

音楽もダンスも映像も、全てを把握し
言葉じゃなく、歌と踊り、身体全身で表現しようとする姿
これが本物のエンターテイナーなのか

マイケル自体がネヴァーランド
最初から夢の世界に連れて行かれてしまった

コンサートのディレクターのマイケルへの語りかけは
まるで繊細な子供に対してのような話し方だったけど
その中に大きな敬意もあった
I love you. God bless you.
そんな言葉が自然に飛ぶ、不思議なマイケルの世界

怒ってるんじゃない、愛なんだよ。

このコンサートが実現していたら、とんでもないものになってただろうな。
もう一度観ないと。
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by yuzuruzuy | 2010-01-08 01:07 | 映画


つまらない、面倒くさいを、面白く。


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