カテゴリ:表現( 31 )

THE SONGWRITERS 佐野元春×岸田繁 ①

くるりは『三日月』で一気に好きになった。
TVから流れてきたあったかいメロディ
この三日月を この三日月を どこか遠くの街で見つけたら
この三日月の この三日月の 欠片のことを教えてください

この淋しさを この淋しさを
どうかやさしさに変えてゆきたい
どうかやさしさに変えて届けたい

このフレーズにやられて
聴いてからしばらく頭から離れなかった。
歌詞の淋しい感じが、どこかで聴いたような
やさしいメロディになって自然に染み込んでくる曲だと思った。


<佐野元春の朗読『魂のゆくえ』を受けて>
読む人によってまったく違った印象になるだろうなという感想。

岸田:たぶん、あんまり難しいコトバを使ってないと思うから、余計そうなんかな。

佐野:そうですね。くるりの詞は、本当に、平易な日常のコトバがよく使われていて、それだけに、人びとのココロに入っていったとき、おそらくその人の経験によって、意味というものは変容してくるのかな。だからとても間口の広い詞だなと、そういう感想を、率直に思ったんです。


今回も佐野さんフィルターが効果抜群
確かに平易なんじゃけど、誰にとってもすごく大事にできるコトバ選びがされているなぁと思う。
岸田:いま、やっぱ、個人的には、日本人の音楽を聞きたいんですよね。日本人が、日本語のコトバで、分かりやすく歌ってくれる音楽が聞きたいなと思っていて、で、立ち上がれ日本の人より立ち上がれ日本って僕思ってるんですよ。ちょっと危険発言なんですけど、すいません。


<アイディアはどういうところから生まれるか?>
岸田:いろいろなんですけど、ほとんどがやっぱり身近なものに触れているとき……、身近なものが題材にはなるんですよね。あんまり、“宇宙船”とかは使わない、かも知れない…。


<情景から触発される場合が多いのか、それとも人と人との関係から?>
岸田:人との関係性とかって言うのって、堅苦しいコトバに置き換えると…社会的なものっていう、コミュケーションとか、社会性やと思うんですよね。で、それは絶対、メッセージとしては、僕は歌詞の中なり、それは歌詞の中だけじゃなくて、バンドでアンサンブルを作りあげるときとか、何でもそうなんですけど、季節とか、…んーー…五感を使うものって言うんですかね、(省略)やっぱりそういういちばん素早く反応するもので、説明のつきにくいものって言うのを、…そっから生えてるものを、コトバとして拾っていく…。


普通に暮らしていて誰しも感じてるのにつかみきれていない部分をコトバにすること。
自分が感じたことをそのままコトバにすること。


Q.好きなコトバ
あーおいしい
──自分が言うてても人が言うてても幸せな気分になります。

三日月のPVにぴったり


Q.嫌いなコトバ
……(考えた後)嫌いな言葉はやっぱ言えないです。

なんなんじゃろ?NHK的な意味で?(笑)
でも本当に嫌いなコトバは口に出せないもの。


くるりの曲は聞いてないもののほうが多いけど
今まで聞いたなかでは
誰かが旅立ったり自分が旅立ったりするときの
去っていく淋しさが歌詞の中にあって
その淋しさをメロディでとてもやさしく包んでくれるイメージが印象的。
って、最初と同じこと言っとるな、
でも、そこが自分は好きなんだな。

佐野さんの解説
日本的な叙情を持った歌詞に、
欧米のロックンロールをベースとしたくるりのバンド演奏が加わることで
とてもユニークな表現になる。


次週も楽しみじゃ。

Jubilee

歓びとは 誰かが去るかなしみを
胸に抱きながらあふれた
一粒の雫なんだろう

『Jubilee』

[PR]
by yuzuruzuy | 2010-08-15 14:40 | 表現

演じるって、何だ?

爆問学問 
爆笑問題×野田秀樹 第一幕

人は、自意識を持っている限りは演じている


演じることは誰でもできる
それを仕事にしているのが役者
見てもらって良いものに高めなければならない
そこが問題
(by 野田秀樹)

コトバで表されるものを自分なりに解釈して
カラダ全体でヒョウゲンすること

ただ台詞を声に出すだけではない
台詞に身体性を出さなくてはウソになる
コトバの量を凌駕した、カラダから放たれるエネルギー
それを前にすれば、口から出てくるコトバさえ明確な意味を失くして、
訳わかんないんだけど伝わる情報が受け手に向かって洪水のように迫ってくる
コトバを凌駕するだけでなく、カラダを通して表現に説得力を増す

コトバとカラダって言う意味では、声っていうか、口から出る音っていうのはコトバよりのものだと思ってるじゃないですか。…コトバだから。でも、出てくる音っていうのは“肉体”なんですよね。単純なことを言うと、大きい声を出すためには、腹筋なり背筋なりの身体がしっかりしていないといけないし、そうなってくると、じゃあそこに乗っかってるコトバというのは、身体とコトバって切り離してるけれども、実はカラダの延長上にあると考えてもいいかもしれないってことですよね。コトバって。


コトバもカラダである。

コトバで自分のカラダを表現する。
カラダで自分のコトバを表現する。
コトバはカラダなのだ。
コトバを伝えるために、カラダを解放させよ。


生きることは、演じることだとここ数年つくづく思います。
それを仕事としている役者に、自分がなりたいというわけじゃなく、
生きる上での方法のひとつとして、自分を表現する手本として、すごく興味があります。
森山未來は、カフカの『変身』という文字でつくられた世界をまさにカラダ全体で表現していて、
ほぼ初めての演劇だったけど、コトバを超えた次元でぐいぐい引き込まれた自分がいました。


海外で英語を話していて感じたのは、コトバのチカラの弱さ。
どんなに上手い文法を使っても、
顔の表情や、身振り手振りに勝るものはない気もした。
それは自分の話す英語の稚拙さへの言い訳でもあるかもしれないけど、
いちばん相手に感情が伝わったと思えたのは、
笑顔だったり、酔っ払った時などの訳の分からない踊りだったりした
それは自分の中から湧いてでた感情を、カラダで表現すること、まさしく演技だったと思います。


次週は、演技についての深い話が聞けそう。
観ていて、自分もカラダを動かしたくなってくるような
ココロ揺さぶられる放送でした。

今回のロケ地は野田秀樹が教授を勤めている多摩美術大学。
前の記事で書いたSong Writers講演の立教大もそうだし、今更ながら首都圏の大学がうらやましいなぁ。
関西だって負けてたまるか!
そんな気持ちでいろいろ吸収しなければな。
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-07-14 05:42 | 表現

THE SONGWRITERS 佐野元春×桜井和寿

感じたこと、考えたことを、忘れないために(長いです)
何度も客観的に読み直し、書き変えつつ、
できるだけ読みやすくしたつもり。


まさに≪永久保存版≫

こんな講演があるなんて、立教大学がうらやましすぎる。
そしてNHK教育、ナイスです。

佐野元春が著名なソングライターを招いての講演
相手はなんとMr.Children 桜井和寿でした。
これほど録画してよかったと思える番組はなかなかないと思います。
響いたコトバを切り取りながら、自分の感じたことも交えて書き残します。


【感想・考察】

桜井:いつも心がけてるのは、その…世の中に溢れてる常套句とか、あの…テーゼとか既成概念の……裏にある、それもまたひとつの、真実だって言うことを自分がコトバで発見できたときが…

佐野:ぁぁー…あぁ…(うなずきながら)

桜井:あの…すごいうれしいとき、で…。まぁその瞬間をいつも待ってる…はい。

佐野:なるほど。詩人として、自分の、他の人が言ってる真実じゃなく、自分にとっての真実を発見できたとき…

桜井:そうですね、はい。

佐野:うれしいってコトだよね。よくわかります。


このやりとり…シビれた。

“愛はきっと奪うでも、与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの” 『名もなき詩』

「愛は与えるもの」「奪うことはいけない」
よく言うけど果たしてホントウにそうなの?
実はどっちでもないんじゃないか

そんな疑問から生まれた名言だった。



無意識レベルで作られた歌詞のひとつひとつのコトバ、それらを選んだ意図や
日々の生活、創作活動で考えている事柄を
ミスチル桜井がじっくりとコトバを選びながら語り
佐野元春が的確に受け止めて、わかりやすく短いコトバで
桜井のコトバもうまく借りながら説明してくれる。
“あぁぁ…” “確かにそうかもしれない” “ありがとう” “なるほどね”
独特のトーンで発せられる相づちが絶妙。

桜井氏が生む楽曲は、まず曲があって、それをコトバにならない感情を乗せた「ラララ」だったり適当な英語にして叫んで、そこにこもった怒りややさしさから、詩がイメージされるらしい。
なるほど。音楽の強さはそこなんじゃろうな。コトバだけでは伝わりにくい感情の部分。
そこから生み出すことで聴く人のココロにダイレクトに伝わってくる。
佐野元春は過去に、僕がいま通ってる講座を受けてたらしい。
コトバの限界を知っているからこそ、音の可能性を求めつづける世界を選んで
そのうえでコトバをどう生かすか?ということを追求しているのかもしれない。
佐野元春の音楽はほとんど聴いたことないのでよくわからんけど…(ゴメン)。


桜井:できるだけ、自分の無意識が作り出したものを、大事にしたい

歌詞を作ろう、作ろうと考えてるアタマじゃなくって、考えてないときに突然ふっと現れて来るような自分のココロの奥に潜んでいる部分を表現しようとしているから、そのコトバは、誰のココロにも染み込んでいける。
僕が好きな歌たちの、ココロに響いた歌詞が生まれたエピソード。
それらが実はトイレで生まれてたりする(笑)

Q:好きな言葉は?
「今日という日は、残された人生の最初の一日」

Q:嫌いな言葉は?
「難しい問題だよね」

前者は調べたところ、英語の格言みたいだけど
どちらもまるで自分のコトバかのような選びかたで身近に感じられて
“HOME”や“SUPERMARKET FANTASY”などの日常を題材にした
最近の、より身近な存在としてのミスチルの作品とリンクしてるように思えた。
僕も、好きな言葉を問われたら、こんな風になるべく自分のコトバのように答えたいと思った。

Q:女性からいわれて嬉しいコトバは?
「かわいい」(笑)
そう言ったあと「すいません」と謝りながら見せた笑顔は、
確かにかわいい(笑)



なんと歌詞のネタ帳も公開。これは鳥肌モノ。
その無地のノートの中は、衝動的な感情の殴り書き。
桜井:ものすごくその、コトバを考えるときに…、えーとぉ…、モヤモヤっていうものをすごく大事にしている…んです。だから、…そのモヤモヤが、う゛ぅーっていう感情であれば、強く書くし、おっきく書くし、みたいな。
コンピューターで打つ前は…、できるだけ、こうやって、字で書きたいとは思っていて…あの、間違っててもアイディアを残しておける。あの…パソコンとかだと、訂正したやつは、消えてなくなっちゃうんだけど、あの…残しておいたものが、のちのちすごく大事な役割をすることがあったりするので…。ん、あとはやっぱりその…自分のこの感情の、…モヤモヤだったりグァー!っていうものを、文字ごと、気分ごと、メモしておけるのが、はい、…ですね。


うん、手書きの良さはそこにある。
そのときの気分が、文字になってあらわれるし。
字には書いた人の人柄が出るってのもよくいわれるよなぁ。

こうしてブログを書いてても、一瞬ココロに現れた、実は正直な気持ちを
やっぱ違うと思ったら一瞬で簡単に消せるし、
逆に、PCのトラブルで一瞬にして消えてしまうこともある。
こんな長文を書いてるときなどまさに、いつ自分の手元が狂ってバックスペースを押してしまって
前のページに戻って全文消えてしまうかもしれない。そんな余計な恐れも生まれる。
だから何回かに分けて先に保存しておきます。

感情があまりにもフラットになりすぎるのは、ケータイでメールしていても身にしみる。
もっと紙に書こう。

僕は自分の直感や、感情を書くのは、無地ノートだと決めてる。
だから桜井氏のノートが無地だったのには、ピンポイントで感動した。
まぁ、だからって桜井センセイのようなコトバが書けるわけがないけれど。
字の大きさや、書く向き、余白の広さとかに“書いたときの自分”が出るという意味では
共感できる部分があるのかもしれない。だからちょっと嬉しかったのです。


桜井:歌詞を書くときでも、無意識に誰かがやる動作みたいなものに、すごく意味を持たせて、表現することが多いですね。

人と話してるときの、ふと視線を外したり、首をストレッチしたりする動作
無意識でやってる本人は気づいてなくても、きっと退屈してるんだろうな。
そんなしぐさの裏の感情を敏感に読みとる。確かに“何気ないしぐさ”みたいなニュアンスの表現が歌詞によく出てくるような気がする。
ここでも無意識がキーワード…他人の微妙な感情の動きまでもつかんで歌詞にする。
それで第三者である聴き手に「それ私が思ってたこと」なんだって、ドストライクで共感を呼べるとは…
すごい人間観察眼じゃ。


桜井:僕は人間が、ある一面だけであるはずがないと思っているし、愛してるからこそ、やさしくもできるだろうけど、愛し…が、あるからこそ、人を殺すこともできると思うんですよ。

人間のココロは、ある一面だけを、取っては語れないと思ってるし、その両方あるから、奥深いとも思うし、えーとぉ、『タガタメ』っていう、歌詞でも“子どもらを 被害者にも加害者にもせずに”っていう発想は、あのー、………もちろん、まぁ自分にも子どもがいるからその子どもが被害者にもなってほしくないけれど、でも、逆にその…、こいつは誰かを殺す可能性もあるかもしれない、っていうことを、それは人間だからどんな可能性もありえるって僕は思っていて(何度もうなずきながら)、…そのなんか……奥深さが、あの、すごく愛しいとおもう。“愛しいとおもう自分”でありたいなと思うんです。


何度もうなずきながらまるで自分自身に言い聞かすように語った。
高校時代はそんなこと考えずに聴いてたけど、今の僕ならわかる。
そんな見方を教えてくれたのが『掌』の歌詞だと思う。
今回は出てこなかったけど
この曲の歌詞に込められた思いについても聞いてみたいなぁ
ひとつにならなくていいよ 価値観も理念も宗教もさ
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができるから それで素晴らしい

いろんな人がいるように、いろんな自分だって認めりゃいいんだ
ひとつの価値観に縛られてきた自分がいるかもしれない
“こうであるべき自分”に、縛られないで、そのときの自分も本当の自分なんだと認められるようになるきっかけを与えてくれた曲。本当に本当の自分に気づいた、(正確には気づこうとし始めた)ときから、周りに対する見方も変わった。

こんな風に書くと、大げさに見えるな…(苦笑)
ミスチルで人生変わりました!みたいな、そんなわけではないのだ。
この歌詞はあくまできっかけで、考えて答えを出したのは自分自身だと言っておきたい。
もともと自分のココロの中にあった部分へと、このコトバがナビしてくれたような。
それでも、きっかけとなれるコトバだという時点で、充分以上に、すごいことなんだけどね。


<ミュージシャンとしての影響力と無関係でありたいと思う>
桜井:たぶん僕は…、その、人を思いやる…ために、第三者のために、音楽を作っているのでは…ないと思ってるんです。ただ、当然、人が誰しも抱えている、えー……問題、それを、えー……共有することで、なんか救われたり、励まされたりすることはあるだろうなと思って、だから…誰かを励ますんじゃなくて自分自身を解放してやる。それが、結果、えー、…だれかとつながり、んー、…何かプラスに作用するんじゃないかっていう、んー感じで…います。


このコトバを最後に聞けてよかったな。
まぁ、影響を与えたいなんて思ってたら独裁者かカルトの教祖にもなってしまいそうだけど。
「自分のため」と言い切るんじゃなく、遠まわしな言い方が上手い、というより、やさしい。
この、「共有する」というスタンスが、ミスチルを聴く現代人にニュアンスで伝わるから、多くの人を掴んで離さないんじゃないかな。
“ミスチルは私のために歌ってくれるんだ”なんて大きな勘違い。
高校時代のサッカー部の先輩に言わせれば、「お前カンチか?!」。
でも、そう感じさせる、人を“カンチ”にしてしまうチカラが、伝えるためには必要なのかもしれない。



【まとめ】

読みにくいとは思ったけど、桜井氏が思考をコトバにするまでの葛藤がわかるように
話の内容と間の取り方を自分なりに文字にした。
こうして文字を打ち込む作業のなかで、文字だけのチカラのなさを痛感した。
コトバにはやっぱり音が必要なのだと
音こそホンモノにいちばん近い感情を伝えられるのだと
この講演の映像、そしてこの感想を書く過程で思い知らされた。
逆に考えると、文字だけでその人のココロに突き刺さって
読む人のココロの声に乗って響くコトバを生み出すことを目指さなければ。
くやしいけど自分はまだまだなので、最低でも自分が分かりやすいように書いた。
自分が消化するのが精一杯で、読んでもらえる文章を書く余裕がまだない。
ほんとは、自分だけじゃなくて、読む人と共有できるコトバで書きたい。
ここまで長かったら、自分でも読み返す気をなくしてしまいそう。
ちょっと自虐的すぎるな。反省終了!

とにかく、あぁ、この人はコトバを大事にしているのだなということが
身にしみて伝わってくる映像だったということが言いたかったのです。
ここまでひとつひとつの言葉を、巻き戻しながら見た番組はおそらく初めてだ。
あとは、M-1のブラマヨのネタくらいかな(笑)



感想のつもりが、実に長々と書いてしまったなぁ。
見直してコトバを噛み締めて、結果的に5時間くらいかかった(笑)
新書2冊読めたかも。でもそのくらいの価値はありました。
それだけ残しておきたいコトバに溢れる講演でした。
こんなにミスチルが好きだったのか?と自分でも驚いています。

僕がミスチルを聴くときは、自分自身について考えるとき。
ミスチルだけじゃなくて、好きな音楽は全部そうなのかもしれない。
今の自分と、ココロの奥の自分をつなぐ、橋渡しとなってくれるコトバが
どこかにあって、それは、毎回違う曲。
そんな歌詞を持った新しい曲に、もっともっと出会いたい。


それにしても、佐野元春の話の引き出し方とか、雰囲気作りもすごかったな。
今週はアジカンの人らしいから、またチェックしてみよう。
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-07-13 10:14 | 表現

絵画のドラマ

兵庫県立美術館、レンピッカ展についてのTV番組
ナビゲーター小西真奈美

ポーランドの女性画家レンピッカ
彼女が残した作品に、左手が未完のまま残された男性の肖像画がある
初恋を実らせて結婚したその男性への思いがその左手に込められていた

画家として有名になるにつれ、拡がってしまった夫との亀裂を繋ぎとめようと描き始めた肖像画
“お願い、出て行かないで”
そう願いながら描き続けた思いも叶わず、完成する前に、夫は離れて行ってしまった
残ったのは描きかけの夫の肖像画
顔、腕、脚、背景と色をつけていくなか、どうしても色をつけることができなかった箇所がひとつだけあった
それが、左手
結婚指輪をつけていない左手を描くことで、離婚してしまった事実を認めることになってしまう
しかし、結婚指輪をはめた左手を描いてしまうと、それは嘘になってしまう。
果たせなかった思いと、愛する人がもういない現実
そんな、複雑な思いが込められた肖像画
離婚後も、レンピッカは、ずっとこの絵を持ち続けたと言う。
いつか夫が自分のもとへ戻ってきたときに、この絵を完成させたい
そう思い続けたまま、この肖像画は未完のまま終わった。

夫が当たり前のように彼女のそばへいたとしたなら、
この絵は描かれることもなかったかも知れない。
でも・・・・・

あー、ドラマティックすぎるわ。
絵画には、それを描いた画家の、やりどころのない思いが込められている。
そんな思いに共感しながら、ひとつの作品を味わうのもいいですねぇ。

レンピッカ展行ってみよかな。
キレイな緑がインパクトあるし。

ロマンチックな日記でごめんなさい。
レンピッカさんのせいです。
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-06-12 04:12 | 表現

ipad+広島弁



ネット上のニュースで見つけたけどすごいなこりゃ。
ipadよりも広島弁のクオリティが。クセがすごい。
こんな喋り方のおじさんおるおる。

“あんたぁ中国新聞見るじゃろ?”って細かいところまで(笑)

ipadの最先端な機能と、このおじさんの喋り方のギャップがおもろいんかな?
外国人+関西弁はよくあるけど、外国人+広島弁もアリじゃね。
それとも自分が広島出身じゃけぇ余計に笑ってしまうんじゃろか?
盛りあがっとるのは実は広島県民だけだったりして・・・・


最先端じゃけぇって構えすぎずにまずは使ってみんさい
方言を使うのは、親しみを持ってもらうにはとてもよい方法だ。
ただ、これじゃ広島弁に耳が行き過ぎて機能が伝わりにくいかも(笑)
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-06-07 20:03 | 表現

子供達を責めないで





爆笑問題のラジオで流れてきて衝撃。
少子化以前の結構昔の歌のようだ。
作詞は秋元康。
子供で商売やってるくせにと爆笑問題からも突っこまれてた。

ひねくれてぶっとんでいて、ところどころ何故か説得力があるコトバ選び。
“私は子供に生まれないで良かったと、胸をなでおろしています!”・・・むちゃくちゃ。
大人目線なんだけど、子供みたいにムキになっている口調とのアンバランスがいい。
岡本太郎は、子供と対話するときでも一人の人間として本気で向き合ったという・・・それとはまた本気の質が違うか。笑

伊武雅刀の歌い方というか演技がまたおかしい。
本当は子供に好かれたいらしい。好かれないからいじけた大人。
このキャラで映画とか作れそうだな。

あと、コーラスがこども合唱団だったらなぁ。
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-04-27 19:15 | 表現

変身

主演 森山未來
舞台版 カフカの『変身』

留学中NYのブロードウェイでミュージカル『美女と野獣』は観たけど、自発的に観たくて観に行く本格的な演劇はこれが初めて。昨年から今年にかけて読んでいたカフカ小説の舞台。しかも主演が、いつかのしゃべくり7で武田鉄也もその演技力を絶賛していた森山未來とあって、プレオーダーで注文した。運よくチケットが取れたので、行ってきた。

勝手なイメージで、舞台には部屋の細かい手の込んだ家具や装飾があるのかと予想していたけど、セットは両親や妹などの、登場人物が座る椅子と、虫の骨格をイメージしたような、グレゴールの部屋を取り囲む鉄の骨組みのみで、音楽と照明で、その場面の状況を観客に自然と想像させるような演出だった。観る人それぞれが自分の想像で部屋の情景を生み出せて、より入り込める。その鉄棒と、高い身体能力を最大限に使い、虫の動きを表現する森山未來の演技が鳥肌モノだった。指先など身体の細かい部分や、すべての関節の動きに注目させるような演技で、舞台上で一人、完全に人間ではない何モノかに化けていた。THE表現者。もろ素人の感想だけど、一時間半以上舞台上にいて、何百人に見つめられながら、物語の中にその人たちを引き込んで、ぶっ通しで演技し続けるってことがまず凄い。あらかじめ完成された世界に引き込む小説や映画に対し、作り上げていく過程に観客をダイレクトに連れ込んで作り上げていくのが演劇。役者のプレッシャーは尋常じゃないだろうな。映画にはない緊張感がぴーんと劇場に張り詰めている。

TVや映画では味わえない生きた演技に触れたくて見に行ったけど、そんな冷静な比較もできないほど、想像以上に引き込まれた。カラダが震える。これがLIVEのチカラだぁ。何でもTVやインターネットなどのメディアを通して何でも触れた気になれる世の中だけど、同じ空間で、同じ空気を通してしか感じられないものも大事にしないとな。音楽ライブや海外のサッカーなどを実際に体感してきたここ数年、そういうことを感じています。こんな時代だからこそ、よりホンモノが求められるべきだと思う。3Dが注目されるのもうなずける。でもそれだってあくまでもバーチャルじゃもん。

小説では感じることができなかった登場人物の内面の深い部分まで、演者によって伝わってきた。
戸惑いながらも兄を助けようとする妹グレタの葛藤だったり
母親という役割に縛られたような、表面的な母の愛情だったり
息子に支えてこられながらも、最後まで強情な父親だったり
家族がそれぞれ“孤独”な部分を背負っていて、それらを一気に引き受けて
グレゴールは大きな虫になってしまったのかもしれない。
『変身』は、現代で言えば引きこもりの小説だったんだな。
今回の舞台を観て再発見。
虫になった息子を世間から隠し、次第に邪魔者扱いする家族。
家族の気持ちを知りながら、対話をすることさえできない主人公。
溝は深まる一方で、人間だという記憶さえも危うくなり、
狭い部屋の中を這いずりまわるしかなくなっていく。
起きたら虫になっているという奇抜な発想の裏には
カフカが持っていた深い孤独があったのだ。
だから僕たちは、“変なの!”と思いながらも、共感せざるを得ないんだと思う。


“自由に!自由に!!”

最初から最後まで、悪夢から逃れられずに
孤独の内に死んでいったグレゴールの叫びは
カフカ自身の叫びでもあったのだろう。

公演後の、渦巻くような拍手喝采。
それをほぼ一身に浴びる森山未來(他の演者もいたけど)。
もしも、もしもしもしも、この拍手がすべて自分のためだったなら、
鳴り止むと同時にポックリ死んでもいいと思いつつ、客席で自然と手を叩いている僕がいました。

役者も、歌手も、何かを表現するには、命がけでやってこそ伝わるんだろうな。

言葉にならない、こんな瞬間を生み出すために、生きてみたいもんじゃ。
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-04-03 04:39 | 表現

石田徹也遺作集

昨年末の日曜美術館特集で紹介されていて
見た瞬間忘れられない衝撃をうけた

TVで観た飛べそうもないボロボロのプロペラ機と一体化した男の絵
その表紙を書店で見つけて思わずページをめくった
役割を与えられて社会にはめ込まれて
でもそのなかで奮闘している現代社会に生きる人々
学校や就職面接、スーツのサラリーマン・・・社会の違和感をこんな風に表せるのか
どの絵にも登場する男の目からあふれ出す孤独感と、笑わせるような人とモノの組み合わせ
冷たいようで温かい、ページをめくるたび息苦しくなりそうだけど、目が離せない
いろんな感情が刺激されて
書店で一人で泣きそうになってしまった

なんでこんな絵が描けたんじゃろ?
描くしかなかった人なんじゃろうなぁ・・・・

石田徹也遺作集

石田 徹也 / 求龍堂


[PR]
by yuzuruzuy | 2010-04-01 15:41 | 表現

横尾忠則 公開制作 ②

最終日、再び行って来た
ジブリの絵を描いている人の展覧会が開かれていて
この前平日で入場60分待ち
今日はなんと最大180分待ち
すごい行列だった。これがジブリの力か・・・・
横尾さん目当ての僕にゃさすがに並ぶ気になれん
なんといってもこちらは無料だし

今日は昨日描かれていた絵の続きから始まった
朝から行けば白紙から見れるかと思ったが、残念。
昨日の絵はキャンバスに上下逆さまのY字路
モデルの写真を逆さまに見て描いていた
そのままの視点で描くのではなく、何処か遊び心を求める横尾ワールド
そこに細かな説明は不要のようだ
敢えて眼鏡をかけない二重にぼやけた視覚で描いた時にどうなるか
そんな自分でも予想のつかない結果を楽しんでいる

午後からは新しい絵を描くか、前回の絵の手直しをするか、プランを決めていないらしく
お客さんとの質問タイムを経て、ふと思いついたように前の絵をセットし、
何かが降りて来たのか、憑かれたように前日までに描き終えた絵を
布で大胆にこすり始めた

そのとき納得できるカタチに何度も変化させる
自分の衝動でいつ変わるか分からないから、未完
またしても思い知らされた

今日知ったが横尾さん、70歳過ぎてんのか
にしては、すごく若いですわ
いつまでもあんなエネルギー持ち続けないとねぇ

こんなに早く本人、しかも制作現場を見れるとはラッキーだったな
安藤忠雄や安田団長(笑)もそうだったけど、
実際に見て人の持つ雰囲気を感じることで
自分の中でその人物がバーチャルな存在からリアルな存在になる

安部公房とかカフカに会うのはもう無理だから、
作品を読んで、魂に触れるしかないもんなぁ・・・

今度会うまでには何かしら自分も描いていよう。
勉強させていただきました。
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-02-06 23:56 | 表現

横尾忠則 公開制作

自転車に乗って
お気に入りの美術館へ

そこでみんなの前で絵を描いていた
画家 横尾忠則
思ったより若いような、ただのおじさんなような
でもその背中に向けられた大勢の視線を他所に
黙々とキャンバスだけに集中して向かっている姿には
職人的な雰囲気があった

d0137443_22242232.jpg


兵庫県のY字路をモチーフにした絵
何度も塗り重ねられた色

一筆一筆が変化するための瞬間
ある程度きれいにできてもまた壊したくなる
波が打ち寄せる砂浜で遊ぶ子供のように
波が押し寄せては絵を壊し、子供が補修し、再度創造
一人の中に波と子供があって、その破壊と創造の繰り返しなんだという
だから終わりがない、永久に未完成

“でもどこかで止めないと分厚くなりすぎるでしょう”
そりゃそうですね

言葉のとおり、何度も色を付け加えたり、消したりして
絵筆で何度もキャンバスに触れていた


終わってから廊下でY字路の写真を眺めていると
横に何かオーラを感じて振り向くと
すぐそこに描き終わり外に出るのかジャケットを羽織った横尾忠則が向かってきていた
はっと目を合わせた僕は頭の中がノーアイデアで
最初それがさっきまで目の前で絵を描いていた画家と言うよりは
部活の顧問の先生とすれ違う時のような感覚になって
スタッフでもなんでもないのに
お疲れ様ですといわんばかりにペコリと頭を下げて道をあけ、もう一度目を合わせた
ちょっと不思議そうな顔をした気もするが
TVで観たとおりいつも何か疑問を持っているように少し唇を尖らせた横尾忠則は
僕の背後をひょろっと歩いていった


人が絵を描くのをここまで真剣に見たのも初めてだったし
ここまで真剣に絵を描いている人も初めてみた
終わるまで観客などまったくいないような自分の世界に入りきっていて、
真っ直ぐ自分の作品とだけ会話しているみたいだった
夜の景色だったので、描かれている世界にだんだんと光が注がれて、
はっきりとしていく過程が見れてワクワクするようだった
名画といわれる作品もこのように何度も塗り重ねられて
少しずつできあがったものかと思うと、絵画の鑑賞方法も変わりそうだ

モナリザもダヴィンチにとっては未完成だって言うしなぁ・・・・

もう一回、今度は描き始める時間に行ってみようと思う
やっぱりライブは違う
[PR]
by yuzuruzuy | 2010-02-03 22:36 | 表現


つまらない、面倒くさいを、面白く。


by yuzuruzuy

プロフィールを見る

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

最新の記事

さらば
at 2014-09-25 04:35
きょうこそ
at 2014-07-04 01:31
イタいのイタいの、飛んでいけ!
at 2014-06-14 23:03
いろいろあるけれど
at 2014-06-05 03:56
「ママ、しまじろうのお顔、ご..
at 2014-05-04 01:25

以前の記事

2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
more...

カテゴリ

全体
日記
独り言
つぶや句
読書
映画
広告
写真
表現
SLT
夢日記
屋久島
自転車de東京
欧州一人旅
回文
未分類

タグ

検索

我的書架

ブクログ

その他のジャンル

外部リンク

記事ランキング